いつも胸やけ

ムーミンと夫と子どもと暮らしています

馴染んでいる

目覚めてこんなもんか、と思えるくらいの二日酔いで、ひどいときに感じる口内の渇きもなく、起きてそのまま寝巻きは脱がずに風呂場で頭だけ洗ったらそれで十分さっぱりした。

ひどい二日酔いになるまい、と思っていたのは今日が保育園の懇談会だからで、今年度最後ということでできればご夫婦で来てください、と子どもは大きな部屋でまとめての保育、親たちはその奥の、暗がりのホールで子どもたちの写真や給食のスライドを見たりした。
一年前、より家から近い保育園と迷って夫の強い主張で選んだこの園に通わせてよかったと思える、先生たちの熱意、と言ってしまうといかにもだけど、それぐらい、来ている子どもたちを大切にしている(だから大変なこともある、という話もちゃんとしてくれるところなども)のが伝わってきて、終始涙を堪えるのに必死だった。卒園式で歌う歌を練習しましょう、と先生だけでなく、上のきょうだいがいて既に知っているのか、ばっちり歌える他の保護者の歌声があちこちから聞こえ、それに押されるように、夫は隣でしっかり歌っていた。知らないはずだけど。わたしはそのいかにも! な歌詞をそれでも口にしたら絶対泣いてしまうと思ってただリズムに合わせて揺れるだけだったのだけども、二番から歌ってみたら案外泣かずに、みんなに混ざることができた。

園児である、自閉症の子とのこれまでのかかわりをまとめた報告を聞き、その先生の声が涙声なのか、そうではないのか、斜め前のお母さんは泣いている。何に気持ちが動かされているのか分からずに、わたしはその報告者の先生より、その後に話した司会の先生の熱さにかなりやられてしまった、とてもいい意味で。あのとき一番前に座っていたのが多分その子のご両親だよね、と夫があとから言っていて、わたしが気になったのはこのような報告を全国の合同研究会や保育士の集まりで何度もやってきた、保護者はどうそこにかかわっていたのだろう、という点だったけれど夫曰く報告中ご両親は何度も何度も頷いていたらしい。大雑把に言ってしまえば、だれともかかわろうとしなかったその子は少しずつその子のやり方でかかわろうとしている、という話で、なぜ心はこんなに動くのだろう。先生の口ぶりだけで、それが不思議だった。ほんとう、が伝わっているからだろうか、実感が込められているからだろうか。

全体会の後のクラス懇談では、夫に子どもと先に帰ってもらい、けれどクラス懇談に出ていたのはわたしを含めて三人だけだった。先生二人と、だからかなりラフに話せてとてもいい時間で、もっと長く話したい…と心底思った(でもめちゃくちゃトイレにも行きたかった)。最近の子どもたちの様子を写真一枚一枚を見ながら◯◯ちゃんはこのときこうで、と解説してくれ、そうえば家でこのときのこと話してました、とわたしたちが返す。節分の写真では、うちの子どもが先生の膝に顔を埋めており、たしかに今も思い出したようにしみじみと「鬼こわかったねー」と言っている。Aちゃんのお母さんが、みんなが手を繋いで輪になってぐるぐる回る動画を見たあとで、「Aが「◯◯ちゃん(うちの子ども)とだけまだ手を繋いでない」って言ってたけどこの動画でちゃんと繋いでますよね」と言っていて、たしかに動画のなかでAちゃんと子は隣同士、途切れた手をまたしっかり繋ぎ直している。Aちゃんのなかではうちの子どもとはあまりかかわりがない、というそのあらわれなのか、何よりそんなふうに自分の子がお友だちの家でそのように話題にのぼること自体が興味深く、もちろんうちでもそのような話は意識せずしているけれど、そうやってもう保育園での暮らしがわたしたちの生活に馴染んでいる。

たっぷり写真を見た後は「それぞれの家での様子」を話し、といってもそれはつまり「家での困りごと」なのだった。うちは夜ご飯をあまり食べないことと、夜通し眠れないこと、ほかの家ではお風呂に入りたがらず二日三日は余裕、という話や、さっきのAちゃんのところはトイレの話、トイレではどうしてもしてくれなくて、大人がやって見せるのがいいって聞いて、だからわたしがするのを見せたりもするんですけどダメで、あと湯船でしちゃうんです、と神妙な感じで話されていて、いや真面目に困っているからそうなのだけど、でもその真面目さにこちらは救われもするのだった。笑うとかではなく。同じ園に通わせる親同士、毎日子どもの様子を見てくれている先生に話を聞いてもらえるのはほんとうにうれしいし、ありがたかった。育児にまつわる「これでほんとに大丈夫なのか??」という暗中模索感、途方もなさ、あと汚さ面倒さ、こんなのうちだけなのでは。湯船でおしっこしてもそのまま風呂に入り続けるタフさというかあらゆることへの鈍さ、そういうのがうちだけじゃないなら、と思えて心が軽くなるのだった。ついでに来年度のクラス代表になってしまった。提携のもうひとつの園舎での集まりもあるらしく、基本ひとりでは運転しなくて、と言うとAちゃんのお母さんが車を出してくれることになった。仲良くなれたらいいなぁ、とちょっと期待してしまっている。

徒歩で帰ると、夫がこの前出張時道の駅で買ってきたさつまいまを揚げて子どもに食べさせていた。昼は冷凍庫のご飯をかき集めてオムライスを作り、昼寝は全員で三時間半、起きればもう十七時近く、友人夫婦とのグループLINEにゆめタウンでサイン色紙見つけました! と連絡があって、とてもうれしかった。よく見ると写真のなかで、ベビーカーのMちゃんがしっかりカメラ目線でポーズを決めていた。とてもよかった。
こんなに長いこと昼寝してしまっては夜、子どもは寝ない、と小雨のなか車を出してスーパーの二階のキッズスペースでしばらく遊ぶ。キャーキャー言って駆け回り、笑いながら咽せたせいか子どもがオエッと嘔吐いて咄嗟に片手で吐瀉物を受け止める。ピンクだ。オムライスか…などと思いながら手のひらがあたたかく、夫とめちゃくちゃ笑ってしまった。幸い床を汚すことはなく、事なきを得た。昔、自分が夜中に吐いてしまったときに母の枕元にすべてをぶち撒けて、それで母は最悪だーとか言いながらシャワーを浴びに行ったのだったが、そのことをたまに思い出して、でも自分がその立場ならぜったい子どもを責めるのはやめようと思って、今日はそれができてすこしほっとした。

先週も行った近くの銭湯に行き、五年暮らしてこんな近くにあったなんて知らず、あっつあつのお湯に、ノズルのないシャワー、はじめは貸切で子どもは張り切って椅子とケロリン桶を持って蛇口から勢いよくお湯、水と交互に入れている。銭湯の脱衣所で交わされる会話に過剰に受け取るものがあって、もう三寒四温って今のことじゃろうか、とかそういうやりとりをほてった身体で聞いていた。番台の真ん中で仕切られたドアの下から子どもが夫のほうへハイハイで行ったり来たり、楽しそうにしていた。

帰りにラーメン屋に寄り、お腹が空いていたのか子どももよく食べ、来れば必ず頼む炒飯もやっぱり大盛りを頼んで見事にくちくなり、酒は土曜日なのに飲まず、みんなで早くに布団に入った。子どもを寝かしつけながら本を読むはずが、子どもはなかなか寝ずにわたしだけが先に寝た、と翌朝夫から聞いた。