いつも胸やけ

ムーミンと夫と子どもと暮らしています

どんぐり三つ

朝、週に一度の買い出しへ。開店前に着いてしまい、しかし結構すでに待っている人がいる。みんなそんな前のめりにスーパーへ行くんだなと思い、わたしは開店直後の従業員がこぞって頭を下げているのが苦手でささっと俯きがちに通り過ぎてしまう。

夫はその後午前のみ仕事へ行った。子どもとふたり、することもなく電車に乗って二駅先の公園を目指すが、子が駅前の児童館に吸い込まれるようにして一目散に掛けて行くので仕方なく着いて行く。本来は予約制なのでどうだろう、と思ったが今日はまだ空きがあるのでどうぞと言われ安堵。ずっとトラックやミキサー車を無言で走らせていた。手持ち無沙汰に腕の毛などを抜く。

少し早めに出て、元々行くつもりだった公園に寄り、すると子どもは着くやいそいそと靴を脱ぎ(気合いを入れるときには靴を脱ぐスタイル)駆けていく。この公園は保育園でよく来るらしく、我が物顔で遊んでいた。奥には大きくて幅の広い滑り台がどーんとあり、脇のタイヤの階段をひょいひょいと登る。てっぺんは随分な高さで、そこから腹ばいになって滑り降り、それが結構なスピードでひやひやするが本人はなんでもない。行きにも会ったが、帰りの電車でも生徒に会う。ちょうど明日の漢字テストの勉強をしていたのだと、スマホの画像を見せてくれた。

午後、周南まで車を走らせ、久しぶりにコンサートなるものへ行った。夫の中学時代の友人がピアニスト(ロー磨秀さん)で、その彼とバイオリニスト(ビルマン総平さん)、メインは箏奏者のLEOさん。家を出てからチケットを忘れたことに気づきUターンして開演ぎりぎりになってしまい、席の両隣に人がおり今さらそこに入るのが申し訳ない気持ちに。

他人とこんなきつきつの距離感で長時間いることが久しぶりで、はじめは隣の人のちょっとした咳払いや鼻をすする音なんかがものすごく気になって集中できず難儀した。途中、笛ラムネのような「ピーー」という音が何度も聞こえ、前の席で耳を気にして触っている人が見えて補聴器なのだろうか、音が演者は気にならないだろうか、ということが気になり、当人も焦っているのではないか、とこちらが勝手に焦り、それは少しして止んだのでやっとほっとして、忘れていたけれど「みんなでなんか観る、聴く」そういう場では他人の色々がすごく気になったりするのだった。他者に触れたような、ちょっとそれはこれまですっかりなくしてしまっていた感覚だった。ソーシャルディスタンス、と呼んで今までが快適すぎたのだった。

夫のよしみでローさんが楽屋に呼んでくれて、子どもも一緒に挨拶をし、子の手の甲に描いたわたしの下手な絵を見て「これはなんだろう」と言われて恥ずかしかった。それは、、消えかけのトトロです、、。

周南に来たのなら、と徳山駅前の蔦屋書店に寄り、新刊『せいいっぱいの悪口』の営業。レジへ行き、訳を話すと店長さんを呼んでくれた。まったく無名の新人だが地元の書き手ということで、応援していただけそうな手応えを得て、一冊でもいいので置いてもらえたらなと思う。しかし、棚を見るにやはりビジネス、実用書が多く文芸系の取り扱いは少ないのかもしれない。置いてもらえても手に取ってもらえるかどうか、店内は結構ざわざわしていてゆっくり本棚を眺める人は少ないようだった。隣接するスタバが混んでいて、ここは中学か高校かというくらい学生が多い。席で無音で踊りを練習していたりする。東京とは雰囲気が違う。高瀬隼子さんの『犬のかたちをしているもの』、文庫を買った。

夕飯はびっくりドンキーへ行き、いつぶりだろう、もうあのどでかい木のメニューもなく、けれどハンバーグは美味しかった。子どもがすぐに飽きて裸足で店内を走り回るのに閉口。一歳児との外食はまだ無理なのだろうか。いつになったら落ち着いて外食できるのだろう。びっくりドンキーでわたしはほとんど子どもを追いかけ回していた。

子どもが眠る前、引き出しから水着を引っ張り出して着たがるので従うが、オムツもいそいそと脱ぐ。しばらくそのままにさせたがそのまま寝かせるわけにはいかない。なんとかオムツを履かせるが泣き、泣きながら夫に絵本を読ませようとする。最近気に入っている『おちゃのじかんにきたとら』(ジュディス・カー、晴海耕平訳)はふしぎな話で、ある日とつぜんソフィーとお母さんがお茶をしようというそのときにトラがやってくる。何か食べさせてほしいと。それでトラはお茶のためのお菓子やサンドイッチを平らげ、家のなかの食べ物、飲み物、しまいには水道の水をぜんぶ、飲み切ってしまう。そしていとまを告げ、それきり二度とやって来ることはなかった。おしまい。絵本の最後にに「ジュディス・カーは著名なドイツ人作家の娘としてベルリンに生まれました。カーはナチスの手を逃れて1933年に家族とともにドイツを離れました」とあり、夫によるとこのトラはヒトラーの暗喩であると読む人もいるらしい。これはこれとして不条理として読めばいいように思うが、たしかに調べるとそういうことを書いている人もいる。「トラの目が怖い」という。そりゃトラの目はこわいだろうと思う。

わたしがコンサートで他人の発する音にやきもきしている間、夫と子どもは近くの動物園に行き、ゾウからどんぐりをもらったり、カバの鼻の水飛沫を眺めたりしていたのだそう。ゾウがどんぐりくれるなんてすてきだ。小さなそのどんぐり三つは、風呂の洗面器に浮かんでいる。