いつも胸やけ

ムーミンと夫と子どもと暮らしています

大きい犬、小さい犬

お節介な人というのはいて、夫がだいたいそうである。今日は寒いから上着を着ろだの、あるいは入れた覚えのない折り畳みが鞄に入っていたり、てきぱきあれこれ、わたしや子どもの世話を焼いている。ありがたいこともあれば、正直ちょっと鬱陶しいときもあり、しかしそう指摘すると本人はいつも「よかれと思ってやったのに」と言う。今も枕元まであたたかい紅茶を持ってきてくれた。「こぼしたらいけないからね、少なめにしといたからね」と言われる。もっとなみなみに入れてほしかったのだけど、それは言わずにおいた。

そしてどうやら子どもも、保育園でお節介を発揮しているらしいことを知る。ダンスの時間に気の乗らないで床にごろごろしている子のところへ行き、なにやらゴニョゴニョ言ったかと思うとその子の手をとってダンスの輪に加わらせたり(まだ満足に喋れないが、どうやって説得したのだろう)、おやつの時間にお友だちの顔を覗き込んで「◯◯ちゃん、おいしいねぇ」と言ったりするらしい。とんだお節介ヤロウじゃないか。

本の発売を控え、あれこれ気を揉むわたしを気遣って外に出た方がいい、外に出て美味しいランチでも食べてきたらいい、と夫は指図する。が気乗りせず、ならこうしよう、と仕事を早く切り上げて、午後公園に集合することになった。これはありがたいお節介だった。

公園で長いこと過ごすなら、さすがに寒いかと思って穿いたレギンスは歩き始めてすぐに脱ぎたくなり、今日は気温が高い。雲のないよい天気で、立体的な夏の雲のもうない空はどこまでも平面で、奥行きをまったく感じさせない。

公園までは歩いて一時間の道のりで、途中で本屋に寄り、今月の『群像』を買う。そして勇気を出して、新刊の注文用紙を差し出し、「私、今度出るこの本の著者なのですが、、」と切り出した。店長が対応してくれて、どうだっただろう、手応えは分からないまま「できることは何でもやらせてください」とたしかにわたしはそう言ったけれど、そんなセリフなかなか言わないなぁと、また汗をかきながらちょうどバイク屋の前を通った。ぴかぴかのバイクがみな同じ方を向いて並んでいる。

セブンに寄って、公園で食べるおやつを選ぶ。わたしはモンブラン、夫は何がいいだろう。電話で聞くと、300円のモンブランにあわせて、シュークリームとチョコバナナクレープ、まさかふたつを選ぶとは。予想外の選択だった。

途次、肉屋にも寄る。明日の晩に、と串カツ、ハムカツ、ヒレカツを買う。どれも安く、数本ずつ買って550円だった。揚げてもらうこともできるが、パン粉のままもらって、これは明日、家で揚げる。

大きな湖の前のベンチに座り、空はひらけてやはり雲はなく、だからどこまでも青い平面のよう。鴨がぱらぱらと何羽か目の前をすいーっと横切って、一羽一羽の引く水紋がVの字に、こんなに長い。それがうつくしくてぼんやり見届ける。
ほどなくして夫が現れ、ふたりベンチでさっきセブンで買ったおやつを食べる。無言で食べてしまえばすることもなく、子どもがいないと、こんなに暇で手持ち無沙汰で自由なのだ。
本は、いったい誰に届けたくて書くのだろう、と話す。せっかく書いたのだからたくさんの人に届けばいいと思う。でもそのたくさんの人とは誰のことなのだろう。誰かひとりを思って書いたのではなく、あの人のことも、またあるいはあの人の顔も浮かびはする。浮かんではまたそのことを忘れて、この一冊は誰のために書かれたものなのだろう。

木陰は涼しく、ゆるやかな勾配を大きな犬を連れたおじさんがしゃがんで「座れ、動くなよ」と言う。「動くなよ」と繰り返し、夫が「こわい」と言うので聞こえるよ! と小突く。犬だよ犬、なんて言ったっておじさんのほうは自分のことだと思うんじゃないか。ひやひやした。だいいちね、吠えるのは大きい犬じゃないよ、吠えるのはいつも小さい犬、と言うと「そう、私たちみたいにね」と夫に言われる。どーんと構えておけばいいのに、小さいことを気にしてそわそわしている。こうして小さい犬のようにギャンギャン吠える。

子どものお迎えに行き、帰宅してから編集Kさんと電話。今気になっていることなど話して共有できたのでほっとした。さっき営業に行った本屋から、早速注文が入ったとのこと。ありがたい。ちゃんと汲んでくれたのだ。また、もう本の見本が届くという。早く手に取ってみたい。

眠くなってしまった。子どもは近ごろおさるのジョージが好きで、YouTubeでよく見ている。ジョージの世界はやさしく、どんなとんでもないことをジョージがしでかしても、黄色い帽子のおじさんは怒らない。BGMもしっとりしているから、つけっぱなしでもあまり気にならない。

と、ここまで書いて夫が「ゴキブリ!」と叫ぶ。出たらしい。もう長いこと見ていないのでどのくらい嫌な感じだったか忘れてしまった。出どころの洗面所を見張ったが、出てくることはなかった。この家にゴキブリがいる。その事実をかかえて眠るのが憂うつだ。

今日読んだ榎本空さんの『それで君の声はどこにあるんだ?』がよかった。

「禍という緊急性にあって、希望とは未来の救いではなく現在の可能性という姿をとる。今ここに、その可能性を身体で、言葉で、行為できるかどうか。今この瞬間に、あり得たかもしれない今、いやあるべきであった今を体現していく。それが絶望を拒否すること。黒人の命が、他の命と同じように重く、肯定される世界。それは未だかつて存在したことのない未来であり、しかし今ここにおいて実現されねばならない世界である。」
というツイートで引用した箇所と、

「スタイル、声とは、自分を追い、自分を待つ歴史との絶え間ない対話から生まれる。それは自分の声でありながら、自分の所有物ではあり得ず、常に関係性の中に存在する。そこにあって真摯に問われなければならないのは、自分は何の後を生きているのか、ということだろう。」
ここも印象に残る。いい本に出会った。すこし前に、編集Kさんにお薦めしてもらったのだった。