いつも胸やけ

ムーミンと夫と子どもと暮らしています

元気ですか

 ダイニングテーブルから窓の外を眺めるのが好きで、午前中ならだいたいさっき干した洗濯物が揺れている。自分のブラジャーが二つ、風にそよいでおり、不思議な形だなと思う。

 秋の日の台風一過 半分に折ればくす玉のようブラジャーは

という短歌を作ったことがある。いつも思う。くす玉みたいなもんを自分の胸にのっけている。開けた窓からは小学校の中休みの終わりを告げる校内放送、竿竹屋の音、ゴミ収集車の音、何よりここ数日の風が心地よく、つくづくここから外を眺める、というより風に翻る洗濯物やカーテンを眺めるのが好きだ。ほんとうは書かなければいけないのだが、実際に書いている時間よりどう書こうかなあと思いながらこうしてぼんやりしていることの方が多い。


 朝、百万年書房北尾さんからメール。昨日の八戸ブックフェスで『せいいっぱいの悪口』が30冊完売したとのことで、追加でサイン本を作らせてもらうことになった。もうすぐ刊行して1年になるが、まだまだじわじわと新たに手に取ってもらえているようでとてもうれしく、ありがたい。11月の文フリ東京はもちろん、10月の文フリ福岡ももしかすると現地に行けるかもしれず、楽しみ。文フリ福岡に行ったのはコロナ前の一度きりで、そのときは自分の本を出してもらえるなんて思いもしなかった。
 #本のまち八戸ブックフェス でツイート検索すると写真もたくさんで楽しそうで行ってみたくなる。八戸、というか青森といえば馬場のぼる、そういえば昨日の夜、子どもに読み聞かせで『ぶたたぬききつねねこ』(馬場のぼる)を勧めたが却下されたのだった。それにしても、朝眺めるTwitterのTLは動きがなく、というか日常の瑣末なことを気軽につぶやく人は減って、Twitterはとっくに終わっているのかもしれない。みんなどうしているのだろう。会えなくても、SNSが更新されれば勝手にその人のいまを知れた気がしていたが、「会わなくてもお互いTwitter見てるもんね」と言い合う、そんなこともなくなって、みんなの日常がまた見えなくなってしまった。それが普通だったはずなのだけど、そういう自分とて全然つぶやかなくなった。でも宣伝はどうしてもTwitter頼りだし、宣伝しかしないつまらないアカウントになったな、と思う。でもムーミンは元気だし、いまも目の前にいます。
 れーちぇること永井さんがthe letterを始めていて、Twitterに籍?を置いたままみんなやっぱそういう方に以降していくのかなあ、まあブログもだから、こうして書いてみようと思ったのだった。永井さんもthe letterで書いていたけど、連載や書き下ろし原稿など、「書かなければならないもの」があったとしても、それとは別に気軽に書ける場があるといい。わたしの場合、日記すらそれが書き下ろしの原稿になって、もっとばらばらでとりとめのない、いや原稿として書く日記とてばらばらでとりとめのないことこそ書いているつもりでも、もっと。峻別なく、思ったことはあって、それをすべて残すことを是とは思わないが、なんとなく撮り溜めてだれにも見せない写真がたくさんある。
 ちょっとだれかに聞いてみたいこともある。そう、子どもを通わせている保育園で度々勧められてついに観念して購読するようになった『ちいさいなかま』という保育雑誌がなんだかすごい。そもそも、全然乗り気ではなく、だってこんなの毎月届いても読み通せる自信もないし、と思ってなんとかスルーしてきたのだったが、ある日先生から「ほりさん、読者モニターやってみない?」と囁かれ、それはつまり毎月雑誌の感想を編集部に送る、ほんの少し謝礼もあるよ、ほりさんが適任と思って、ということだった。驚いたのはいったいわたしが何某かの物書きであることをどこで見抜いたのか?ということ。もちろん就労証明書は提出しているが、それについてどの先生にも話したことはない。じゃあもういいですよ、やります、やらせてください! と半ばやけになって購読しはじめた『ちいさいなかま』、やっぱりいざ届いても読む余裕もなく放置していたのだったが、いよいよ今月のモニター通信の締切日を控え、読まなきゃ書けないのでなんとか読み始めたのだが、これがすごい読み応えではないか。特集の「ヘトヘトです。仕事と子育て」は保護者のリアルな疲弊と、保育者かつ保護者のこれまた引き裂かれるような「保護者にはこんな風に保育したらいいですよ、と話す立場なのにそんな子育てはできていない」という嘆き、あるいは他の連載には「信仰宗教の信者になぜ、女性が多いのか?」「子育てと憲法」とか「ジェンダー・ギャップと寿命の関係」とか、ものすごく社会的な、というかがっつり政治にかかわる内容も多く、それでいて保護者、保育者の生の声もたくさんで、考え込んだり泣きそうになったり、何この雑誌、、これで440円、ちいさいなかま社、、応援したい。俄然モニターとしてのやる気が出るのだった。そう、それでこの『ちいさいなかま』こと『ちいなか』って有名なのだろうか?ご存知の方いますか?と、気になったのだった。

 さっきトイレに入ったら、開け放したドアから(子どもが生まれてからトイレのドアを開け放したままにする、というのが常になってしまった)向かいの部屋へ続く道の、その動線部分だけきれいにワックスが剥げていて、ここをもう数え切れないくらい行ったり来たりしている、とトイレに入るたびに思うのだけど、もちろん出てしまえば忘れる。忘れていいことを、こうして書いてみる。うちの向かいの小学校は運動会の練習も佳境なのか、「後ろの3,4年座る!」「先頭の田中さん、砂いじりしないで、ダッシュ!!」など聞こえてくる。

 と、ここまでスマホのメモを使って書いたものをはてなの下書きに流そうとしたところ、友人のブログ更新通知が。友人にブログを勧めた人間として、わたしが出てきている。Tさんに勧めてよかった。自分が書いている、と話すときにはよく人に書いてみたら、と勧めてしまう。Tさんの文章はTさんが話しているみたいで、わたしはTさんのお喋りが好きなので遠距離ないま、ブログ更新がとてもうれしい。

 https://nabewata-uminapo.hatenablog.com/entry/2023/09/24/225922

 なんとなく撮り溜めていた写真。

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ヨーグルトメーカーの付属品であるこの長い容器がワインクーラーにぴったりなことに歓喜した金曜日。

 
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 おばけの子ども

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 そして『ちいなか』!!

 

追記:ブログを読んでくれた友人(大学の後輩)から届いたLINEが面白かったので許可を得て引用させてもらいます。「お久しぶりです、お元気にされていますか?さっきほりさんのブログを読んでいて、写真が出てくるまで雑誌の名前を"ちいさいかま(釜)"だと思って読み進めており、渋いなあと勘違いしたまま納得していました。
正しい名前が分かると、謎の納得をしていた時には戻れなくなりますね…。」

ちいさいかま…ふふ。

馴染んでいる

目覚めてこんなもんか、と思えるくらいの二日酔いで、ひどいときに感じる口内の渇きもなく、起きてそのまま寝巻きは脱がずに風呂場で頭だけ洗ったらそれで十分さっぱりした。

ひどい二日酔いになるまい、と思っていたのは今日が保育園の懇談会だからで、今年度最後ということでできればご夫婦で来てください、と子どもは大きな部屋でまとめての保育、親たちはその奥の、暗がりのホールで子どもたちの写真や給食のスライドを見たりした。
一年前、より家から近い保育園と迷って夫の強い主張で選んだこの園に通わせてよかったと思える、先生たちの熱意、と言ってしまうといかにもだけど、それぐらい、来ている子どもたちを大切にしている(だから大変なこともある、という話もちゃんとしてくれるところなども)のが伝わってきて、終始涙を堪えるのに必死だった。卒園式で歌う歌を練習しましょう、と先生だけでなく、上のきょうだいがいて既に知っているのか、ばっちり歌える他の保護者の歌声があちこちから聞こえ、それに押されるように、夫は隣でしっかり歌っていた。知らないはずだけど。わたしはそのいかにも! な歌詞をそれでも口にしたら絶対泣いてしまうと思ってただリズムに合わせて揺れるだけだったのだけども、二番から歌ってみたら案外泣かずに、みんなに混ざることができた。

園児である、自閉症の子とのこれまでのかかわりをまとめた報告を聞き、その先生の声が涙声なのか、そうではないのか、斜め前のお母さんは泣いている。何に気持ちが動かされているのか分からずに、わたしはその報告者の先生より、その後に話した司会の先生の熱さにかなりやられてしまった、とてもいい意味で。あのとき一番前に座っていたのが多分その子のご両親だよね、と夫があとから言っていて、わたしが気になったのはこのような報告を全国の合同研究会や保育士の集まりで何度もやってきた、保護者はどうそこにかかわっていたのだろう、という点だったけれど夫曰く報告中ご両親は何度も何度も頷いていたらしい。大雑把に言ってしまえば、だれともかかわろうとしなかったその子は少しずつその子のやり方でかかわろうとしている、という話で、なぜ心はこんなに動くのだろう。先生の口ぶりだけで、それが不思議だった。ほんとう、が伝わっているからだろうか、実感が込められているからだろうか。

全体会の後のクラス懇談では、夫に子どもと先に帰ってもらい、けれどクラス懇談に出ていたのはわたしを含めて三人だけだった。先生二人と、だからかなりラフに話せてとてもいい時間で、もっと長く話したい…と心底思った(でもめちゃくちゃトイレにも行きたかった)。最近の子どもたちの様子を写真一枚一枚を見ながら◯◯ちゃんはこのときこうで、と解説してくれ、そうえば家でこのときのこと話してました、とわたしたちが返す。節分の写真では、うちの子どもが先生の膝に顔を埋めており、たしかに今も思い出したようにしみじみと「鬼こわかったねー」と言っている。Aちゃんのお母さんが、みんなが手を繋いで輪になってぐるぐる回る動画を見たあとで、「Aが「◯◯ちゃん(うちの子ども)とだけまだ手を繋いでない」って言ってたけどこの動画でちゃんと繋いでますよね」と言っていて、たしかに動画のなかでAちゃんと子は隣同士、途切れた手をまたしっかり繋ぎ直している。Aちゃんのなかではうちの子どもとはあまりかかわりがない、というそのあらわれなのか、何よりそんなふうに自分の子がお友だちの家でそのように話題にのぼること自体が興味深く、もちろんうちでもそのような話は意識せずしているけれど、そうやってもう保育園での暮らしがわたしたちの生活に馴染んでいる。

たっぷり写真を見た後は「それぞれの家での様子」を話し、といってもそれはつまり「家での困りごと」なのだった。うちは夜ご飯をあまり食べないことと、夜通し眠れないこと、ほかの家ではお風呂に入りたがらず二日三日は余裕、という話や、さっきのAちゃんのところはトイレの話、トイレではどうしてもしてくれなくて、大人がやって見せるのがいいって聞いて、だからわたしがするのを見せたりもするんですけどダメで、あと湯船でしちゃうんです、と神妙な感じで話されていて、いや真面目に困っているからそうなのだけど、でもその真面目さにこちらは救われもするのだった。笑うとかではなく。同じ園に通わせる親同士、毎日子どもの様子を見てくれている先生に話を聞いてもらえるのはほんとうにうれしいし、ありがたかった。育児にまつわる「これでほんとに大丈夫なのか??」という暗中模索感、途方もなさ、あと汚さ面倒さ、こんなのうちだけなのでは。湯船でおしっこしてもそのまま風呂に入り続けるタフさというかあらゆることへの鈍さ、そういうのがうちだけじゃないなら、と思えて心が軽くなるのだった。ついでに来年度のクラス代表になってしまった。提携のもうひとつの園舎での集まりもあるらしく、基本ひとりでは運転しなくて、と言うとAちゃんのお母さんが車を出してくれることになった。仲良くなれたらいいなぁ、とちょっと期待してしまっている。

徒歩で帰ると、夫がこの前出張時道の駅で買ってきたさつまいまを揚げて子どもに食べさせていた。昼は冷凍庫のご飯をかき集めてオムライスを作り、昼寝は全員で三時間半、起きればもう十七時近く、友人夫婦とのグループLINEにゆめタウンでサイン色紙見つけました! と連絡があって、とてもうれしかった。よく見ると写真のなかで、ベビーカーのMちゃんがしっかりカメラ目線でポーズを決めていた。とてもよかった。
こんなに長いこと昼寝してしまっては夜、子どもは寝ない、と小雨のなか車を出してスーパーの二階のキッズスペースでしばらく遊ぶ。キャーキャー言って駆け回り、笑いながら咽せたせいか子どもがオエッと嘔吐いて咄嗟に片手で吐瀉物を受け止める。ピンクだ。オムライスか…などと思いながら手のひらがあたたかく、夫とめちゃくちゃ笑ってしまった。幸い床を汚すことはなく、事なきを得た。昔、自分が夜中に吐いてしまったときに母の枕元にすべてをぶち撒けて、それで母は最悪だーとか言いながらシャワーを浴びに行ったのだったが、そのことをたまに思い出して、でも自分がその立場ならぜったい子どもを責めるのはやめようと思って、今日はそれができてすこしほっとした。

先週も行った近くの銭湯に行き、五年暮らしてこんな近くにあったなんて知らず、あっつあつのお湯に、ノズルのないシャワー、はじめは貸切で子どもは張り切って椅子とケロリン桶を持って蛇口から勢いよくお湯、水と交互に入れている。銭湯の脱衣所で交わされる会話に過剰に受け取るものがあって、もう三寒四温って今のことじゃろうか、とかそういうやりとりをほてった身体で聞いていた。番台の真ん中で仕切られたドアの下から子どもが夫のほうへハイハイで行ったり来たり、楽しそうにしていた。

帰りにラーメン屋に寄り、お腹が空いていたのか子どももよく食べ、来れば必ず頼む炒飯もやっぱり大盛りを頼んで見事にくちくなり、酒は土曜日なのに飲まず、みんなで早くに布団に入った。子どもを寝かしつけながら本を読むはずが、子どもはなかなか寝ずにわたしだけが先に寝た、と翌朝夫から聞いた。

免許証の顔

二学期の成績処理の締切をすっかり忘れていて、昨日猛烈にがんばったが終わらず、今日に持ち越す。組んでいる先生と膝をつき合わせて検討するが、これはもうちゃんとはじめから数値化し直したほうがいい、ということになりExcelであれをああしてこうしておいてくださいね、とてきぱき指示され、あわせて私も「ハイ!」と元気よく返事したはいいが、さて困った。Excelなんておそろしいもの、ほとんど触ったことがない。専任教員頼みでこれまですり抜けてきた。ちんぷんかんぷん、なんにもわからない人間が触ると爆発すると聞いた。体裁整えておきましたー、と言われいよいよExcel画面を目の前に茫然とするしかなく、しかし時間はない。先生は忙しそうに会議に出てしまった。迷った挙句、ほとんど泣きながら夫に電話し、あのね、、、とすがるとてきぱき教えてくれて、それでことなきを得る。パソコンは爆発しなかった。それでもタイムアップで今日も成績はつけ終わらなかった。
急いで学校を出て、警察署へ行く。あたらしい免許証の受け取りは明日まで。駐輪場はかなり奥にあって、お迎えに間に合うか心配で署の入口、目の前に雑に停めてしまった。すごい挑発的行為ではないか。受け取りは一瞬で終わり、ちゃんと駐輪場に停めても全然間に合ったなと思う。あたらしい免許証の自分は鳩が豆鉄砲喰らったような表情で、これで四年。あと顔が長い。いつも掛けているメガネがないから余計、顔に余白がある感じ。この前大学時代の友人と電話していて、「メガネしないほうがいいんじゃない?」と指摘されドキッとしたのだった。なんか丸くてでかいメガネしてりゃ「それっぽく」見えるんじゃないかと思っていたから。ブンガクっぽさに寄せすぎ、らしい。参ったことだ。免許証は、背景がやけにうつくしい水色で、そこだけ気に入っている。
お迎えに行くと、子どもが朝どうしても手放さなかったミニカーのショベルカーを手にしており、てっきり登園前にリュックにしまったと思っていたからあれー、となる。たぶん、園におもちゃは持って行ってはいけないはずだけど、「夕方になってじらじらしちゃったから持ってていいよ、って言ったんです」と先生。じらじらする、というのは山口の方言なのか、グズるという意味なのはもう覚えている。病み上がりでしんどかったんだろうな、と思う。
おさるのジョージ、青いショベルカー、はたらくくるま、ジョージ、黄色いショベルカー、クレーン車、はたらくくるま、と指示されるままに動画を切り替えながらうどんを食べさせ風呂に入れ、おむつの隙間からおしっこが漏れ、引き出しからたこ焼きをひっくり返すピックを見つけ「くるくるするぅーー」と泣かれる。この前たこ焼きしたときのこと、覚えてるんだなと思う。まだ身体がしんどかったのか、早く寝てくれた。
Excelさえまともに使えないことに落ち込みながら、職場のつめたいトイレの便座に放尿は勢いよく、なんか情けなくてちょっと笑える。生徒たちは明日から修学旅行で、どれだけ浮き足だっているかと思ったがみんな落ち着いておしゃべりもない。「もっとそわそわしないの?」と聞くが、「サッカー観たからねむい」らしい。うちのアパートは空港が近いから、明日朝、飛行機の音が聞こえたら、みんなが乗ってるのかなと思うとなんか楽しいではないか、と思う。
夫は宿直でひとりの夜、Twitterを見ていて、イベントの席が埋まりました!とか大盛況でした!とかを目にすると落ち込んでしまう。次のイベント、人は来てくれるかものすごく不安で心配で、(あとお相手の永井さんの体調も心配)あまり考えないようにしている。人の重版報告にもくらい気持ちが差し込んで厄介だ。わたしは全然だめだなぁと思うだけ思って、でも黙々と書いて読むだけなのにな。新刊の動きが止まってるようで、重版はやはりまだ遠いのかもしれない。落ち込みについて、ちょこちょこLINEしていたマリさんに愚痴ってしまう。マリさんの「最後の読書」早く読まないと、図書館に週刊朝日は置いてあっただろうか。

蟹の親子さんの日記(https://twitter.com/kani_oya/status/1551526966443929602?s=46&t=Od8TpF4q8py7n3vF6_m2zg)を読んで、気になっていたレトルトカレーをリプライでご本人から教えてもらう。ハウスの「芳醇チキンカレー」というもの。なるほど見るからに美味しそうだ。ちゃんと作るか、そうでなければ弁当など買うか、の二択だがもうひとつの選択肢として、レトルト食品があるよな、と思う。美味しいものを教えてもらったから、心強い。
薄皮あんぱんも4つになるらしいし世知辛いが、日没が早いのもほんとうにいけない。朝はもう6時くらいにはぴかーっと晴れてもらって、夜だってもうすこしがんばって持ち堪えて、太陽よ、ほとんど豪速球で落っこちてしまっては困る。冬は、自転車に乗って、はじめ寒いさむいと言いながら、けれど職場に着く頃にはやわらいで、顔の皮膚が引き締まるかんじがする、それはけっこう好きだ。

大阪滞在記

隣のおじさんのことが気になって仕方ない。
新大阪から乗り込んだ新幹線は自由席で、ほとんど満席だった。二列の通路側の一席が空いていて、みなそこには座らない。なるほど、窓際に座るおじさんが大きなキャリーケースを相棒のように通路側の席に置いているから、そこを「すみません(が座らせてください)」と言うのは億劫で、それでその席はおじさん(とキャリーケース)の安寧が保たれていたのだった。
が、わたしは座りたかったので「すみません(が座らせてください)」と断って、明らかにムッとしたおじさんが無言でキャリーケースを自分の膝の前に引き寄せ、こちらはこちらで居心地の悪さを感じつつ、それで座ることができた。
しかし、おじさんのキャリーケースは上背(上背?)があるせいで、下ろしたテーブルが浮いてしまっている。それで、テーブルを平らになるよう、何度もぎゅうぎゅう上からしつけるのだが、やはり傾いたまま、だから上に置かれた駅弁もほとんど落ちそうである。こういういたたまれなさのことが耐えがたく、もっとなんとか上手くやれないのだろうかと思いつつ、(わたしだったら机は仕舞ってキャリーケースに直接弁当を置く)するとおじさんは諦めたように脚を広げてどかっと座り直した。いわゆる、男性が電車で足を広げて座るマンスプレッディングって無意識でやっているものも含まれるのだろうが、これは明らかに威嚇だ。おーこわい。
あまり気にしないようにと、文庫を開いたり、のちしばらくのうたた寝から覚めると、明らかにさっきよりも足の幅が開いている。当たると不快なのでずれて座る。もはや座っているのではない。このおじさんは、この隣の椅子で「開脚している」。はあ。新幹線ではなく、ご自宅で存分に開脚してほしい。しかも斜めにかろうじて置かれている弁当はいつ食べるつもりなのか。もう諦めたのかビールだけ飲んでしまって、それは弁当と一緒に開ける算段ではなかったのか。

おじさんのことはさておき、ラテラルさんでのトークイベントは無事に終了して、ホッとしている。正直、観覧がめちゃくちゃ少なく、ほんとうに最後まで少なく、こんなに大阪にはたくさんの人がいるのに、りくろーおじさんの店は長蛇の列なのに、なぜ私たちのイベントには来てくれないのか。不思議で仕方ないのだけど、だからこそ、来ていただいた方には本当にありがとうと伝えたい。イベントでも話したけれど、登壇した際に(めっちゃ「ご登場です!!」みたいな音楽まで鳴らしてくれてうれし&恥ずかしい)最前列に叔父が座っているのが目に入り、なぜ!?!!と動揺したが、あとで休憩のときに聞けば黙って驚かせようと思ったのだと言う。これまたうれしい&恥ずかしい。

トークの内容は多岐にわたって、橋爪さんは「死にたさ」を、わたしは「死にたくなさ」を携えて、それらをある意味では創作のエネルギーにしていることを、さまざまなトピックから角度を変えてお互い確認したように思う。観覧も少なく、配信の方では反応が分からないのでどんなテンションでどこを見て話せばいいか最後まで迷いながらだったけれど、ただ隣の橋爪さんとお話しするのが楽しくて、楽しめたことはとてもよかったし、橋爪さんがたくさん話を引き出してくださってとてもありがたかった。

元々橋爪さんとはじめてお会いしたのが、ここ梅田で、2019年の夏にあった川上未映子さんの『夏物語』サイン会にお互いたまたま来ていて、それでその後大森静佳さん、土岐友浩さんが京都から梅田までやって来て「せっかくだしみんなで会いましょう!」と気さくに繋いでくださって、一緒にいたわたしの夫も含めみんなでご飯を食べて、わたしと橋爪さんは初対面のまま、ノリでカラオケに行くという愉快な一日を過ごしたのだった。それ以降ゆるやかにTwitterで繋がっているご縁。

そこでまたひとつ、感慨深いのはサイン会で訪れた梅田の紀伊國屋書店に『せいいっぱいの悪口』が置かれていたこと。イベント前にふらりと寄った店内に、確認する限り自分の本はなく、はじめは(やっぱ置いてないんだなぁ……)と期待はかけずに行ったもののシュンとして、ダメ元で検索機で探すと、なんと「×在庫なし」と出るではないか。あったんだ。あったのが全てだれかに購入されて、それでないんじゃん!とやにわによろこびがやってきて、それで文芸担当の方をつかまえてお礼を申し上げたのだった。「また、仕入れていただけるのでしょうか!」と前のめりに聞くと、「在庫は自動管理になっているので、そのうち入るかと…」とのことで、出がいいようなら平置きにもします、と言っていただいた。4年前サイン会に訪れたときには、この同じ場所に自分の本が置かれる未来など考えすらせず、だからやはりとても不思議な気持ち。
昨日も大阪、京都三軒の書店にご挨拶へ伺って、サイン本も作らせてもらった。うち、天王寺のスタンダードブックストアさんではすでにサイン本は売り切れとのこと!ありがたい。サイン本はそうやって作らせてもらえれば売れ、本も平置きにするから売れるのだと思っているけれど、すべての本がそうできるわけではないことを思うと難しく、サイン本を作らせてもらえることも、新刊として平置きしてもらえることもただありがたい。作ったのだから、売れてほしい。増刷にこぎつけたらいいなと思う。

隣のおじさんはいよいよ駅弁をキャリーケースに仕舞い込んでしまった。斜めの机で食べることを諦めたのだな。

もうひとつ、うれしかったのはイベント後に「サインをお願いします」と来てくれた方が、手紙をくださったことで、その手紙を新幹線のなかでおじさんの開脚攻撃に耐えながら読み、ほとんどこちらが救われるような、こんな風にこの本がだれかに、というよりその手紙をくださった「たったひとり」に届いていることにわたしの方が励まされて、書いてよかったなと思う。読んでくださってありがとう。お手紙、ずっとずっと大切にします。

いちめんの雪 死んだひとにあいたい いきてるひとにはいきててほしい

トークでも話しましたが、橋爪志保さんの短歌のなかで、とても好きな一首です。

アーカイブ、まだご覧いただけるようです。あわせてぜひ。

https://twitcasting.tv/lateral_osaka/shopcart/195449

行くぜ文フリ東京

今日から東京。
一番の目的は文フリで、出たばかりの『せいいっぱいの悪口』を手売りすること、けれどほかにも家族に会ったり、編集Kさんと書店回りをしたり、お世話になった編集者さんに会ったり、インタビュー(!)を受けたり、家族写真を撮ってもらったり、いろんなところへ出向き、いろんな人に会う予定。そして明日は子どもの2歳の誕生日でもある。かなりばたばたして噛み締める余裕があるか分からないけど、2年前の今はもう入院していて、いつ生まれるんだろうなぁと思っていた(陣痛待ちでのんきに読書していた)。

11/20(日)文フリ当日は、百万年書房さんのブース(あ-09〜10)にはじめから最後までいる予定です。本、手にとってもらえるだろうか……。わたしなんかに会いに来てくれる人はいるだろうか……。ただ自分だけのこのこ現れただけではつまらないのではないか……(思考が止まる)。そうだ、何か特典があったほうがいいんじゃないか、と今さら思いつき、編集Kさんに「単行本未収録のエッセイ、あれを特典ペーパーにしたいのですが!!!」と前のめりでメールし、原稿を送りつけてしまった。
ということで、『せいいっぱいの悪口』未収録の一篇が、今回文フリのブースに来ていただいた方にはお渡しできる予定です。タイトルは「犬を職場に連れてくる日」。
もう本買ったよ、という方でももしブースに来てもらえたらサインめちゃくちゃします(特典ペーパーもどうぞ!)この前の僕のマリさんとのトークイベントで「文フリでは腕がもげるまでサインします」と言ったので、求められなくても「サイン大丈夫ですか」と声をかけてしまうかもしれない。でもほんとうに、買いました、って言ってもらえるだけでも、うれしいです。書き手にとって、読者の方に会えることはこの上ないご褒美なので、ぜひ、よかったら遊びにいらしてください。待っています。

ほか、参加している同人誌が今回は2つ。

◯『メローイエロー
(い-56「伊藤」)
伊藤さん、僕のマリさんとの日記本です。9月の10日間をそれぞれ書いています。2万字書きました。わたしのタイトルは「丸いベッド、丸いこたつ」。真っ黄色の表紙が目印です。

◯『ミスドスーパーラブ』
(う-36「トーキョーブンミャク」)
西川タイジさんのつぶやきからはじまった企画、ミスドを愛する者たちがドーナツにまつわるあれこれを語るらしい。わたしは「カスタードクリーム」にかんするエッセイを寄せています。みなさんの読むのが楽しみ。


つくづく、文フリはお祭りだなあとこの時期のTLの盛り上がりを見るに思う。山口住まいのわたしは毎度ふらっと行けるわけではなく、だいたい指をくわえてTLを眺めているが、そんな人もたくさんいるのだろうと思う。いっぽう、遠方から来られる人も結構いるんだなあとも思う。

さっき羽田に着いて、だいたい山口宇部からの便は空港の僻地に到着し、そこからバスに乗る。ひとりの旅なら時間もったいないなと思ってしまうところ、乗り物好きの子どもにはボーナスタイムのようなもので、飛行機からバスに乗り換えて空港を巡る、その工程をこころから楽しんでいた。

新宿で夫と子どもと別れて、編集Kさんと紀伊國屋書店へ挨拶へ。エッセイコーナーと、詩歌コーナーそれぞれに平置きしてくださってとてもうれしかった。編集Kさんとすこしお茶。3日間気を張ると思いますけど、リラックスしながらいきましょう、と言っていただく。
そして今西武線。みなスマホ、わたしもスマホ。5年前、ここに暮していたときと変わらない光景のはずなのに、けれど山口のローカル線では、車内はもっと人の声がする。帰りのこの時間なら、つねにあちこちで学生がおしゃべりしていて、代わりにスーツの人はほとんどいない。
東京は思ったより全然寒くなく、コートは要らなかったなぁと思う。

最後、日記になってしまった。今日から月曜までの4日間、どんなことがあるかなぁと思う。だれに会えるのかなぁ。明日は子どもの誕生日で、だから2年前の今は病院から、夫に「まだかなぁ、まだっぽいなぁ」と電話を掛けていた。

『せいいっぱいの悪口』刊行記念トークイベント

最近、ほんとうにいつからか夜になるとものすごく目が乾くようになってしまって、具体的には21時を過ぎると目がつらい。これがドライアイなのかと思うも、10秒以上目を開ける、みたいなのは別になんともなく、ただただ目がずっとぱさぱさしている。と愚痴をこぼしたら、僕のマリさんも「同じです」と言ってくれて、そんなマリさんと明日、オンラインのトークイベントをやります。『せいいっぱいの悪口』が出てからはじめてのイベント、、このイベントが決まってからずっと小声で(わー、わー)と言いながら気持ちがそわそわしていました。完全オンライン、わたしも山口の自宅から参加なので、うちのムーミンも横で参加しますし(!)家にいるという良さを活かして、本なんかもいくつか紹介できたらいいなと、今日色々、あれこれ思案しておりました。

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(ブログの途中にこうして写真を載せるのはじめて…)

先日マリさんと、編集の北尾さん(当日司会をしてくださる)と打ち合わせをして、文フリ、ZINE、ネットプリント 、日記を書くこと読むこと、エッセイとの違い、などたくさんトピックが出て、早く話したいなぁととても楽しみです。

そして、参加者の方からは質問も寄せていただければじゃんじゃん答えたいと思いますので、事前には以下から、

百万年書房 on Twitter: "金曜(11日)夜は『せいいっぱいの悪口』刊行記念トーク(配信限定)です→https://t.co/p0PMI6yPnF 著者・堀静香さんとゲストの僕のマリさん(常識のない喫茶店)への質問や話してほしいテーマがあれば、 info@millionyearsbookstore.com までお送りください。当日の参考にします。ご応募何卒。 https://t.co/yRgdw9jKVB" / Twitter

また、イベント中にも随時DMで受付の予定なので、ともかくぜひ、ご参加いただけたらうれしいです。アーカイブもあり、お好きな時にお好きな場所で、、!

ブログで宣伝してしまった。チケット代をいただくからにはたくさん、「ここだけの話」をしたいと思うので、これを読んでくださっているはてブロユーザーの方、もしご興味あればよろしくお願いいたします。

目の乾燥が甚だしいのでそろそろ眠ります。

 

眉毛のある猫

子どもとふたりで迎える朝、夫は宿直。

着替え、ご飯、連絡帳記入、洗濯、自分の身支度、その間に子どもの熱を計ったり「いきさーちゃ、りるー(ミキサー車、見るー)」とYouTubeをせがまれたりジュースをこぼされたり、すこし前の自分からしたらこの朝の忙しさ、それをなんとかこなしていることにまず驚いて、今だって保育園に子どもを預け終えて自転車で職場へ向かいながら、どこかフィクションみたいな、ごっこ遊びをしているような気はずっと抜けない。

今日は授業はあまり上手くできなかったなと思う。何がどのくらい伝わっているのか分からないし、そもそも手応えなど、短期的には、こちらは何も感じることなどない。小テストのときにわたしが読み上げた何かの発音が、へんだった、と生徒に言われて、そんなことでいちいち傷ついている。関東からやってくれば自分の話し方のほうが少数派で、「せんせい」のイントネーションがそもそも違う。はじめの「せ」にアクセントを置く西の発音、わたしにはやっぱり慣れず、いつももごもごしてしまう。

職員室での雑談で、「お子さんまだ一人目?」と聞かれ、ひとりで手一杯でぜんぜん余裕がない、と返すと「そーんなのぜっったいだめよ!子どもの身になってごらんなさいな」と言われる。おわおわおわ、、ついに来た、と思う。よく聞くそういうアレだ。初めて言われて、真に受けまいと思いながら、一日引きずってしまった。ひとりっ子がかわいそうだと決めるのはいつも関係ない大人たちで、勝手にジャッジしないでほしいものだ。昼休み、真顔でそんなことを思いながら明太フランスをぶちぶち噛みちぎっては明太子の粒ををあたりに飛ばしていた。

あれもこれも、一日夫と話していないだけでこうして分かりやすく元気を失い、なんだってわたしはもやもやをひとりで上手く消化できない。夫に子どものお迎えを頼んで、放課後授業の進め方について話したり、銀行に寄ったり、アパートに着くと夫と子どもが階段にいて、子どもは消化器の収納された扉をガンガン閉じたり開けたり派手にやっていた。

夜、妹からかしわ(実家の猫)の写真が送られてきて、かしわには眉毛がある。まじまじと、見れば見るほど目のうえのその眉毛がかわいくて、つくづくいとおしい猫である。「なんか面白いことはないだろうか、腹を抱えて笑いたい」とつぶやくと、妹から「前も見たかもしれないけど」とツイートが送られてきて、それは以前わたしが妹に送ったものだったが、あらためて、涙を流すほど笑ってしまった。なんだ面白いことあるじゃないか。「泣いて笑ったや」と言うと「即効かよ」と返ってきた。高校生の頃は毎日、ほんとうに毎日何かしら些細なことを掬いあげては笑って、なにもなければストーブの火がよく燃えているだけで友だちとひとしきり笑った。しかし平坦な暮らしのなかでは笑わないほうが当たり前で、あのときのほうが、わたしたち、へんだったのだろうか。
夫は京都から研究で来てくれているNさんと飲みに出掛け、もうすぐ帰るという。早めにさっと夕飯を済ませたので、お腹が空いた。コンビニ寄れたら寄ってほしい、と言ったけど近くにないらしい。子どもはこまち、はやぶさ、ショベルカーといっしょに眠って、寝ているときに不意に腕や足でそれらに触れると存外に冷たく、そしてそれがすこし不愉快でもある。

Nさんは明日、うちで夕飯を食べる予定で、苦手なものがないか、など聞いてくるように頼んだのだけど、何を作ろうか、などと子の隣で寝転がりながら考えていたら夫が帰宅し、Nさんのお土産のお漬物を早速、冷凍ご飯を解凍していただいた。紫蘇のしば漬け、しょっぱくておいしかった。