いつも胸やけ

ムーミンと夫と子どもと暮らしています

鼻は通っても日々は変わらずつづく

マックのポテトが喉に刺さる。焦って、飲むようにして食べるからだ。焦ることなんて何もないのに。がさつにハンバーガーをつかんだ指にソースがつく。期間限定の、チキンタツタ、しかもコチュジャンソース。

指を舐めるのははばかられて、ペーパーナプキンに指を押しつける。何も怒ることなど起きていないのに、イライラする。何も焦ることなどないのに、そわそわする。期間限定のチキンタツタコチュジャンソースは美味しいけれど、本当はてりやきバーガーが食べたかった。でも、期間限定だから。今しか食べられないから。

走馬灯に見るものはなんだろう、ということをよく思う。人生のなかで私の感情をマッキーペンでなぞるようにつよくした、その出来事の色々が死ぬ間際、きっとひとつひとつ映し出されるはずだろう。

浪人が決まったとき、そしてその一年後滑り止めの合格発表を前に死のうと思ったこと、夫と付き合った日、結婚した日、鎌倉の大仏をはじめて見てはじめてコーラを飲んだ日、百人一首大会で優勝した日、卒業式の前日に告白したこと、お気に入りのグラスを母が割ってしまって悲しくて、七味の瓶を床に投げつけたあの時ーー

今思い起こせる出来事はその日、その時、その瞬間、大きなあるいは細切れの時間、まったくばらばらの時系列として私にやってくる。走馬灯で映されるときには、もっと生まれた時から順番に、ベストオブライフな出来事を中心に、ちゃんと編集されているのだろうか。


鼻水が垂れる。


数えはしないが一日におそらく30回以上は鼻をかんでいる。ティッシュの減りが半端ではない。母には腰巾着みたいにしてティッシュとゴミ箱つけときなさいと本気で言われていた。しかも鼻水が出るのに鼻はつねにつまっている。どういうことなのか、自分でもずっと分からない。でもこれは花粉症の時期だからということではない。
通年万年永久にアレルギー性の鼻炎なのだ。マックのすみっこでちいさくブーと鼻をかむ。残りのポテトを飲み込んで、席を立つ。

自転車を漕ぎながら、いつも口を半開きにしているのは自分だけだと想起する。

満員電車のなかで人々の口はキュッといやもっとごく自然に結ばれていた。それが普通。ならって閉じようとするが3秒ともたない。鼻が、オソロシクつまっているから。そもそも自然な口の閉じ方が分からない。

美容院で洗髪してもらう時に顔にうすい紙を乗せられるとものすごく困る。鼻呼吸ができず、ごく慎重にほそく吐かないと口からの息では紙が飛ばされてしまうのだ。

授業中、生徒の前で教科書を音読している時も鼻は必ずつまっていた。私の音読する「山月記」は、あるいは「こころ」は、どんなに聞き苦しかっただろう。けれど誰も笑いもしなければ文句も言わなかった。
優しい生徒たちだったのだ。

鼻水・鼻づまりにもがく人生。つまりはコレなのではないか。自分の走馬灯担当者に駆けよってどうか鼻水・鼻づまりにスポットライトを当てた編集はやめてくれとその肩を揺さぶりたい。「あ〜あどうせコイツもまた平凡な人生だよ、あ、でもコイツつねに鼻かんでる。鼻づまり酷かったっぽいな、けけ」と面白がって編集されかねない。それは嫌だ。

家に帰ってムーミン氏とお茶をする。

「鼻が、そんなにつまるんですね」

「そう、いつもつまってるの」

「それはさぞかしお辛いことでしょう」

氏はどうなのだろう、というか氏の鼻はどこにあるのだろうという疑問は飲み込んで黙っていると「治療などされては?」と氏は続けた。ごくまっとうな提案だ。なぜ病院に行くことを私は諦めていたのだろう。そうか、そうだよな、と頷いたその時、



ムーミンは「メメント・モリ」と言った。



私が期間限定のものを選ぶのは、いつだって特別な瞬間を過ごしていたいから。そしてそのことを、いつまでも覚えていたいから。

だって、いつ死ぬか分からないのだ。

そうだ我々は「メメント・モリ」と思うからこそ、JALの早割がこんなにも憎い。

高校の部活の仲間たちと久しぶりに集まってランチをしていた。ちょうどオリンピックが東京に決まった時期だった。みんなは「すごいよね、絶対見たい」「楽しみだよね」となんでもなく、話していた。けれど私は悲しかった。いや怒ってもいた。

みんな、その時自分が生きているって、思い込んでいるのか。なんて傲慢なんだ。死んでるかも、しれないのに。元気じゃないかも、しれないのに。

半年前から飛行機を予約して、ハワイに行くなんて計画を立てて、そんなこと悲しくてできやしない。だって、その時私は、そしてあなたはちゃんと元気だろうか。

数年先のオリンピックを楽しみに待つことも、割引を利用して早々と飛行機を予約することも、何ひとつ悪いことじゃない。みんながまぶしい。思っていることを言えない。だって本当は、未来が怖いのだ。そんな風に考えてひとりで暗くなって誰に対してもつねに申し訳ないと思いながら生きている。自分が一番幸せでいたいと思っている。一番愛されていたい。たくさん認められたい。最高の瞬間瞬間を生きていたい。そう、死ぬ間際に見る走馬灯を最高のものにするために。



✴︎



ぼうっと白い天井を見上げたまま、私は鼻の穴に何枚ものガーゼを詰められている。ガーゼには麻酔が染み込ませてあって、だんだん鼻の奥のほうの感覚が雑になってくる。喉に垂れてくる麻酔薬が苦い。待合室の窓の向こうの低い空を眺めながら、その時を待つ。


医師は私の鼻の穴の中を見るなり「あーこりゃヒドイ鼻炎だ。粘膜がぱんぱん」とまず言った。そうなんです、ずっとこうなんです。ずっと、つまってるんです。

花粉が飛び始めるぎりぎりだけど、まあやっちゃいましょうか。レーザー治療。でもあなたの場合、右の鼻の骨が曲がってるから、治療しても完全には通らないかも。今よりはマシになるとは思うけどね。こうして翌日、レーザー治療決行と相成った。


「◯◯さ〜ん」


陽気な声で診察室に呼ばれる。麻酔がしっかり効いて、鼻の穴の中の感覚は今まったくない。いよいよ、鼻は焼かれるのだ。
チリチリに焼かれよ、私の鼻粘膜。



いつ死ぬかわからない、と独り言のように呟くと、「だからこそ今を大切に生きなくっちゃね」と胸の奥から声が聞こえる。心から、そりゃ今を大切に生きることができたらいい。一瞬一瞬が特別。その瞬間が生の悦び。てりやきバーガーを食べようが期間限定のチキンタツタを食べようが、ひとしく私が享受するかけがえのない今の出来事である。そんなに急いでポテトを食べないで。喉につまっちゃうよ。他人のような、けれども私のなかの優しい誰かがそう言ってくれる。

「人生、何が起こるかわからないからね、悔いのないように生きなきゃね」

何が起こるかわからないから、今を大切に生きるのだろうか。他人のような、自分の声に無理に納得するようにあいまいに頷いて、何故だか今、こんなにも不安。


「ちょっとたんぱく質が焦げる匂いがしますよー」

と医師が言う。看護師二人にガッチリと両肩を押さえられ、私は無抵抗だ。ネットで散々調べた前情報にも「とにかく焦げ臭い」「圧倒的に焼肉」「自分のカラダが焼かれてると思うと本当に気持ち悪かった」といったレーザー治療を体験した勇者たちのコメントがたくさんあった。これが、その匂い。

なるほどたしかに焦げ臭い。けれど想像していたような動物の肉が焼けるような匂いはまったくしない。プラスチックのおたまの持ち手を誤って焦がしてしまった時のような、そんな匂いがする。
あーあー焦げちゃった。ま、100均のだし、また買えばいいね。

もう終わりますからね、と言われて治療はあっけなく終わる。想像していた痛みなど、まったくなかった。

医師は「これから10日間くらいはとても鼻がつまります。レーザーやったこと後悔するくらい。」と言ってニヤリとした。

けれど、どうだろう、鼻は、今通っている。

自転車を漕ぎながら、私の鼻は、たしかに通っていた。両方の鼻から息が吸える。そのまま、初春の空気を肺に送り込むことができる。工場地帯の硫黄臭い空気。調子に乗って自転車のハンドルから両手を離す。そのままぐんぐん進む。

「いつ死ぬかわからない、だから今を生きなきゃね」はやっぱり、どうしても難しい。だって日々はこんなにも退屈で、平凡で、怠惰で、孤独で、めまいがする。だから一生懸命、期間限定のハンバーガーを食べて、春休みの旅行の計画を立てて、鼻炎のレーザー治療をする。でも、きっとハンバーガーの味も、旅行で見た景色も、そして今鼻を通る空気の硫黄臭さも、すべてきっと忘れてしまう。もしかしたら、やっぱり私の走馬灯は鼻水・鼻づまりにスポットライトを当てた編集になっているかもしれない。

メメント・モリ」ともう一度呟く。鼻声じゃない。自分の声じゃないみたい。鼻の通ってる人の声だ。

この週末はマックにてりたまを食べにゆきたい。私の運転で。いやあなたの運転でもいい。歩いてもいい。きっと花粉がすごいから、マスクをしなくっちゃ。てりたまは期間限定だから、今食べておかないとね。

今日生きていることも、昨日生きていたことも全部本当。明日生きたいことも本当。今がすべてで、いや本当はそうではない。適当で怠惰で、あなたが好きで、自分がずっと許せない。事故が怖い。病気が怖い。何が起こるか分からないから5年後が怖い。20年後はもっと怖い。今がずっといい。でも今が信じられない。なのに今しかない。晴れていて、風が強くて、花粉がすごい。くしゃみが出る。

鼻がやっぱりたまにちょっと、いや結構つまる。

レーザー治療、花粉症には効かないのだろうか。




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