いつも胸やけ

ムーミンと夫と子どもと暮らしています

歌人見習いが車の免許を取るまで日記その12

自動車免許取得までの道のりをセキララに語る日記のつもりだったのに、運転の話が頓挫しております。

現在はほぼ第一段階の学科と実車の教習を終え、来週はじめにみきわめ、そして仮免許の試験、というところまできました。受かれば教習生生活も折り返し、ということになるのかな。
第二段階はなんとマア路上での教習になるのでまじでこれはリアルな世界、緊張もひとしおといった塩梅であります。

そして来週のみきわめまでは教習の予定はなく、ともなればワタシはヒマなわけです。日々、予定というものが教習所行くことしかないので。
買い物に出るほか、予定がなければ一日家にいることになります。
何かに追われることもなく、誰とも関わりがあるわけでなく、ただただしんと一人でつめたくて、しかしなんともあっけらかんとした日々。

表向きには「主婦」という肩書きがあるのだから、何も後ろめたさや生きづらさを感じることはない、けれどやはりひとり、ひとり家にいるとなんだか途方もなく。ワタシはなんなのだっけ、ワタシはなんでここにひとりでいるのだっけ、と昼寝から覚めた頭で呆然としたり。

するとそれはまったく一年後の自分の姿が予想できなかったちょうど十年前の浪人生だった頃の自分ではないの、ということに思い至ったりして。どこにも属さない、何者でもなくまた何者になれるかも分からない一個のただ、ワタシであった頃。とても自由で、しかしとても、息苦しく世界はつねに無彩色だった。

すぐにでも外に出て働きたい、という気持ちと、しかし同時にまたこんなモラトリアムもいいところな日々。二度とあるのかどうか?と思うとまたぱらぱらと本をめくったりしてしまう。逃避であるかもしれないこの日々を、実はもうすこしワタシは愛していたいのかもしれない。
自分が何をしたいのか、それについて考えるのもこの際とても大切で、じっくり考える絶好のチャンスでありながら、また同時に思いついたことがあればなんでも、飛び込んでやってみるのもよいのかもしれず。もやもやとあれこれ考えては考えるのをやめ、ごはんを作り、夫とじゃれ合う日々でありんす。




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昨日たまたまAmazonプライムで見た「リップヴァンウィンクルの花嫁」がとてもよく、なんてんでしょうかね、マーままならぬ主人公の日々。ネットでたまたま知り合った男性とあれよと結婚、までするのだけれど親戚を含め知り合いのいない主人公は見栄えを気にしてこれまたネットで知り合った何でも屋の男に結婚式出席代理のシステムを紹介してもらって、、、
というところからあれよあれよと話は転がり。

ままならぬ日々にどうにもこうにもただただ翻弄される主人公に苛立ちと、そして最後は親しみのエールを送りつつ、ワタシはなんでもない日々のなかでなんとか。なんとかという思いで昨日は近所の自転車屋で自転車のタイヤの空気を入れさせてもらう。
店先に空気入れが立て掛けてあり、横に設置された缶の箱には「一回十円也」とあってなぜかそこにワタシは二十円を入れる。「お借りしまーす」と誰にでもなくなんとなく一声かけて、空気を入れる。自転車の空気を入れるこの感覚さえ新鮮で、その日一日の記憶になってしまうくらいワタシは夢中でポンプを上下させる。でもこれだって。横目で自転車屋を確認しながらいつも素通りしてきたことだった。

一日のすべてが自転車の空気入れで満たされるような毎日を送る不思議を、全身で受け止めつつある、ワタシにもまた、ままならぬ日々なのです。あゝ。

十年ぶりのあの頃、の茫漠とした日々に振り戻されて、ああ、ああとのたうち回る、日々なのです。贅沢と言えば贅沢ですけれどもね。夫は仕事をしてきてくれて。あたたかい部屋があって。そこでごろごろとのたうち回る日々というのは。それにしても。ワタシは何者なのだろうか何をして。生きてゆくのだろうかね。これから。そんな毎日。なまぬるい!そう一喝されればごめんなさいとすぐにでもスライディング土下座の勢いでもまたあります。


だとしてもきみが五月と呼ぶものが果たしてぼくにあつたかどうか (光森裕樹)