いつも胸やけ

ムーミンと夫と子どもと暮らしています

歌人見習いが車の免許を取るまで日記 その1

自分のことをあえて歌人と呼ぶことは大変恥ずかしいのだけど、そのほうが分かりやすいだろう、と思い切ってタイトルにすることに。でも歌人!と言い切るのはやはり気が引ける、のであくまで見習い。見習いというと魔女のよう。歌人見習い。魔女見習い。

歌人は方向音痴」、「歌人は自動車免許所持率が低い」こんなことをたまに聞いたりする。実際どうなのでしょう、アンケートを取ってみたいところだけれど。

例えば短歌のプロは運転免許を持っている人が一割くらいしかいない。運転がうまい詩人って谷川俊太郎さんしかいないんじゃないかと思う。(穂村弘穂村弘の、こんなところで。』)

一割ってホントだろうか。歌人のみなさん、納得されるだろうか。

たしかにまわりの短歌の友人にすごく運転が上手そうな人はあんまりいない。また歌会開始の時間になっても全然人が集まらないことは多い。単に時間にルーズな人が多いというより、方向音痴で目的地にたどり着けないんじゃないか、と個人的に思うのだけれどこれは偏見だろうか。

自分にもその傾向はやはりあるようで、地図ははじめから頭に入ってこない。のでしかたなく感覚を研ぎ澄ませて道をゆく。のでたいてい迷う。むしろ迷う道をこそ楽しむ、そんなところがあるかもしれない。迷った道で見つけたアパートの名前がコーポしいたけだったとか。そんなどうでもよいことを発見して、ひとりでにやにやしている。

以前歌人の堂園昌彦さんと渋谷の道をご一緒したことがあり、道玄坂を目的地に向かって少し足ばやに歩いていると、堂園さん立ち止まり、アラどうしたのかしらと思うと道の脇になぜか洗濯機がある。たしかに渋谷、道玄坂、こんなところに不思議だけどふつう急いでいたら立ち止まらないし堂園さん、パシャパシャと写真まで撮っている。そのときなんとおっしゃっていたか、とにかくここから詩は生まれるのかもしれぬという現場を目の当たりにし、ぬぬぬ、とワタシはいたくしびれたものだった。

きっと寄り道したくなる人間は、車の運転にも向いていない。寄り道ごころは運転に支障を来す。「とまれ」のペンキのかすれ具合に叙情を感じていたら事故に遭うかもしれない。人を轢いてしまったら事だ。そんな人間は車社会とは関係せずおとなしく電車に乗るべきだろう。そうやって28年、不自由なく生きてきた。向いていないのに免許なんて取るこたぁないのだ。一生助手席でいいワ、なんて気楽に構えていた。

そんなワタシがなぜ、免許を取る気になったのか。

…気になるつづきはまた明日!

そして明日は自動車学校の入校式!なのです。ドキドキ。

#短歌 #エッセイ #免許