いつも胸やけ

ムーミンと夫と子どもと暮らしています

歌人見習いが車の免許を取るまで日記その2

運転には向いていないだろうという自覚を持ちながら、それでもなぜ免許を取ろうと思ったのか。

そのことについては、昨日書くつもりマンマンでいた、のだけど一人で火垂るの墓を見ていたら悲しくなってとるものてにつかず、になってしまった。なむさん。

横浜にうまれ、横浜に育ち、四半世紀と数年。その後結婚して練馬区民になるけれど、マァ、シティーガールという自覚がいやおうなしにあってしまっていけない。

それがこのたび、縁もゆかりもない瀬戸内海に面した某県に越すことになった。満員電車で体力精神力をすり減らす日々に嫌気がさしていたころ、田舎暮らしも人生って感じでいいんじゃないなんて夫と冗談交じりに話していたのがきっかけか、その後そんなら一丁とトントン拍子で夫の仕事が某県に決まり、さよならコンクリートジャングル、と相成ったのであった。

お魚がおいしい。電車は混まない、なんせ一輌編成だ。人はみな、なぜかちょるちょる言っている。そして、スタバがない。

凍狂にいればどこにでもスタバがあった。コンビニのように。50m先にはまたスタバ。
そしてスタバは癒しだ。わたしはハッキリ言ってスタバが大好きだ。フラペチーノは毎度愉快だし、カップには人魚の絵だって描いてある。雰囲気、ホスピタリティ、この上ない。ブラボー。拍手喝采スタンディングオベーション

スタバが近くにないなんて、困る。息が苦しい。こころがしぼんでしまっていけない。調べてみると自宅から一番近いスタバは12kmも先にある。いままではコンビニ感覚であったのだから、あまりに遠い。凍狂なら12kmのあいだに、いくつのスタバが並ぶだろう。

それならば、ワタシは立ち上がった。
とってやろうじゃないの車の免許。車に乗って犬を乗せてあなたを乗せて、スタバにゆこう。

コンビニはひかりの名前ひとつずつ呼びかけながら帰路は続くよ (服部真里子)

ほしのように、ひとつずつ指さして、巡ったその先に、いつかスタバを見つけられるだろうか。今は億光年さきに燃える惑星のように、スタバが遠い。

#エッセイ #短歌 #免許 #車