いつも胸やけ

ムーミンと夫と子どもと暮らしています

陣痛の合間にスニッカーズ食べたなぁ

去年の今頃は入院してたな〜と思い返す。過去のこの頃どうしてた、って考えるのが好きだ。

予定日の4日前の深夜、トイレ…と思って目覚めたらなんか股の辺りが濡れていて「これは…」と思ったら破水、で夫を揺すって起こし、病院に連絡して荷物まとめて車で送ってもらった。車の中で流れてたのはくるりだったかなぁ。

病棟のなかに夫は入れず、じゃあここでってテキパキとお別れして陣痛待ちの部屋に通され、知らない医師が二人やってきて担当しますよろしく、と言われその一人は研修医で(大学病院なので)慣れない手つきでPCR検査の棒を鼻に突っ込まれた。左手には点滴、お腹には赤ちゃんの心拍を測るベルト、たちまち産む準備に入ってわぁ…と思って全然眠れなかった。トイレに行くたびにおしっこではない水と血がジャーッと流れて、バターみたいな粒状の何かがたくさん出て(これ何〜〜)と大変不気味だった。

そして翌日になっても陣痛は来ず、院内に骨盤のレントゲン撮りに出かけたり、お産セットも買っておいてねと言われ売店に行きふりかけやお菓子も買い、なんとなく浮かれた旅行者の心持ちだった。

その日の夜中にフム、お腹が痛いわね…??と思い始めてベッドにものすごい姿勢でうずくまってたら看護師さんに見つかり陣痛室に通されて、その後促進剤を点滴してから翌日の昼ごろ生まれることになる。去年のちょうど今頃、めちゃくちゃ叫んでいた。点滴入れてすぐはまだ余裕があって夫と電話したり、このまま電話繋いでたら生まれる瞬間に立ち会えるねーと言っていたが促進剤が効いてくるとそれどころじゃいっこうなくなり、やっぱ絶叫してるところをわざわざ聞かせることはなかったので電話は繋がず正解だった。しかし朝ごはんも昼ごはんも陣痛の合間に意地で平らげ、それでも足りずうめきながら「スニッカーズ…食べていいですか…」と断って分娩台の上でスニッカーズを貪った。看護師さんは笑っていた。

元々は別の産院に通ってたのを、妊娠後期になって「うーん…赤ちゃん大きくならないね」と言われ大学病院に転院になった。そもそもわたしは双角子宮という子宮奇形があり、はじめからリスク妊婦だったので無事産めるのかはつねに心配でほんとうに、元来のネガティブネイティブ(©︎川上未映子)も手伝って毎日泣き暮らすような感じでそこへ輪をかけて原因は分からないまま赤ちゃんは育ちが悪い、小さい、生まれてICUかも、退院長引くかも、というまさに安閑とはしていられない心持ちで毎日泣いて祈りながらお腹をさすっていたのだった。

はたして生まれた子は見立てよりも300gも大きく、ICUではなくGCUで数日様子を見てもらって一緒に退院もでき、この一年熱も出さず元気印で生きている。

最近は「いないいないばぁ」狂いになってリモコンをピッとやればワンワンが映ると理解し、何度でも泣きながらわたしや夫にリモコンを差し出してくる。「リモコンピッ」と言ってテレビをつけるとニヤニヤしながら身体を前後に揺する。みかんが好きで与えるとうれしくて渾身の力で握りつぶしてみかんのおいしい果汁はすべて滴り、皮だけになったのをまた差し出してくる(どうしろというのか)。

 

生まれてきてくれてありがとう、元気に生きてくれてありがとう、そういう感慨と、それでもわたしはわたし自身のいろいろなことを諦めきれないでいるから始末が悪い。書いたものが読まれたい、評価されたい気持ちがある。夫にかじりついて一通り泣き、「もっとちゃんと思ってること吐き出してみなよ」と言われ嗚咽混じりに「悔しい…」という言葉が出た。悔しいんだ。わたしは自分の書いたものに自信があるんだ。言葉が出て気づく。一方で人には「自信がない」とこぼしてばかりいる。でもそのときわたしは自分の顔を両手で隠しながら、泣くふりをしてだれかが慰めて褒めてくれる言葉を聞いている。そうでしょう、そうでしょうと思っている。どうしたらいいんだろう。なんで見つけてくれないの、という怒りさえある。できることをつづけて、目の前のことをやっていくしかない。

 

鼻水まで垂らして泣く、悔しくて泣くような夜があることを言わなければだれも知らないと思うと、あなたにもわたしの知らないそういう一時があるんだよなと当たり前のことに行き当たる。だからあの人はいいよな、なんてぜったいに思わない。会えば手を振って久しぶりーって言える大人はすごいな。ほんとうは全部話し合いたい。教えてほしい。そういう関係こそがただしいのだと思ってしまう。絶望のものうさのなかにあってわたしたちは、今生きてるんだから偉いことだ。

 

子どもが一年、生きてくれて心からうれしい。

また一年、積み重ねていく。

 

空港が好き

眠る前、啓示のように(丸亀製麺、食べたい…)と思って夫に話しかけたけどすでに寝てたみたいで返事はなかった。小さいひとも寝ていてだから常夜灯のぼんやりした暗がりにわたしの欲望だけがしばらく漂って、そして消えた。

朝になって、ツイートを見た夫がそれでは丸亀、食べに行こうやと言って天気もヨシ、五月晴れに誘われて丸亀製麺に繰り出した。
(こう、天気もよくて体調もいい日は毎日なわけではなく、どうしても夜中起きなきゃいけない生活が続くともともとロングスリーパーなわけではないがそれでも日中めまいがしたり気持ち悪くなったりして何時間か昼寝をする、気づいたら夜になってかなしくなったりする。)

眠くなるまでメニューを見ながら何にしようかあれこれ考えていたのに、いざとなるとまたふりだしから悩みだして後から来た人たちに先どうぞ、と人流を乱す迷惑をやりながらもたもたしていると、「先生!」と声をかけられ、あんまりまっすぐわたしに向けてかけられた言葉だったからすぐふり向くと、今自分のコマを代わってもらっている先生がご夫婦で立っている。平日のお昼にこうしてひとつの店で鉢合わせる偶然と、久しぶりにお会いできたよろこびで一気にメガネ曇った。

夫は肉うどんの大を、わたしはとろ玉ぶっかけうどんの並と、野菜かき揚げ、アジの天ぷらを選んだ。丸亀の野菜かき揚げは小さめのルンバかってほどデカくて嵩もあってふたりで分けてもまだデカい。小さいひとを座敷に寝かせたり、膝に乗せたりしながらおいしく食べ終えたところで、先生とすこしおしゃべりした。
「今日はなみだが出るほどうれしいことがふたつもあったのに、これで三つめになったわ」と言っていて、そのふたつが気になったけど、相変わらずメガネを曇らせながらふわふわした相槌しか打てなかった。

近くに住む知人のツイートで空港のバラが大変見頃、というのを知って食後に向かう。
「バラ色の人生」というときのバラはあの深い赤と思うけれど薔薇、そもそもこんなたくさんの色とかたち。見たことのないバラが言葉のまんま、咲き乱れていた。
なかでも、奥まった庭園にはアーチに沿ってとりどりのバラがいっせいに目を見開いて、アーチを覗けばその奥にも奥にもまだバラが続いている。
小さいひととのツーショットを夫に撮ってもらってそれがなかなかいい写真で、うれしくて帰って顔のところをスタンプで隠してTwitterに上げたんだけど、でもなんか後からとても恥ずかしくなって、消した。
この心の動きをなんと言ったらいいんだろうと一晩考えていた。写真を上げるとフォロワーが減ることがある。無為に、いや無為と言えるのかな、とにかくそれが原因なのだとしたら、と思いを乗せて、心の風化がすこし進む。

バラを巡った後は、空港のとなりにある公園でシートを広げてごろっとした。それなりにひとはいて、スケボーやローラーブレードに励む二人組、単独散歩組、ベンチでおしゃべり組、それぞれ散らばっている。

広い野原に腰かけて、目線にはため池、その先に柵を越えてどこまでも、滑走路がある。

毎日羽田を結んで数便の往来があり、夫が寝入ったところで小さいひとがぐずりだし、ため池のまわりをベビーカーで行くと、ちょうど離陸するところだった。ベンチに腰かけてすぐに滑走路から機体が浮いて、ゆっくり旋回しながらとおくへ消えるまでを、居合わせたひとたちとともに、それぞれの場所から、見上げていた。花火を見てるみたいな、みんなで遠くの一点を仰ぐ一粒の時間は結構尊いのかもしれない。

戻ると、夫は起きていてどこ行っちゃったのかと思った、と言っていた。そばではスケボー組が仲間を増やしてゴロゴロやっている。
シロツメクサの花を摘んで、ほとんどはじめて花冠をつくった。小さいひとの頭に載せるためのものだから、もういい飽きる、というところでなんとか完成して、写真を撮った。その背後で、夫は今日も逆立ちをしていた。

 

目がさめるだけでうれしい 人間が作ったものでは空港が好き/雪舟えま『たんぽるぽる』

 

なんなのか思い込みで、上の句を「生きているだけでうれしい」と誤っていて、全然ちがうじゃん、と自分に白けた。
かつて心を無にして司書として働いた一年間があり、それは仕事内容というより直属の上司と完璧にしんそこ反りが合わずしかし校内の図書館だったのでほかには誰もいない。密室の地獄365日、そんな毎日行ってないけど出勤しない日でも心は死んでいたことを思うとまったく大仰ではなかった。

そして思い出すのはその人が「できることは気づいた人間がやりましょう」という言種で、ニンゲンて、とわたしはいつも思っていた。種としてのワードじゃん、せめて人って言ってよ…と聞くたびに元気がなくなり、絵文字みたいな顔で業務にあたっていた。
人間が、というとき主体は体臭のするわたしたちからは離れたところで、どこか遠くを見ているように思う。あなたはだれなのか、たぶん微笑みが上手くて、ひとさし指が光っている。
でもそう言ってみるだけで、かなしい生を、やりきれない生活を、うんざりしながらなんとかやっているひとりの輪郭が、輪郭だけを保って透けて見えるとき、だからたまに、この短歌をこうして間違えて思い出す。

オチをつけるみたいになってしまうけれど、ドデカい野菜かき揚げはわれわれに鮮やかな胃もたれを呼び起こし、おさまったと思った安堵もつかの間、たのしくタイタニックを見ているところで二度目のウェーブがやって来、調べてみると同士はけっこういて、どうやら油をたぷたぷに吸った玉ねぎがいけないらしかった。

実は前にも丸亀の野菜かき揚げにやられたことがあって、もうきっとまたしばらく食べないだろうな。かなしいな、と思って目を閉じた。

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いつも胸やけ

夫から電話があって、今夜は空手の練習に行くつもりだったけれど、学生対応が長引いてもう諦めてこれから家に帰るという。めずらしく「外食がしたいよ~」と言うので、今いるミスドに併設するスーパーでお惣菜を買って帰ろうかと提案すると喜んだ。二〇時も過ぎれば、電話しながら回るお惣菜コーナーは軒並み半額まつりで、相談しながら寿司とからあげを選んで帰る。

エコバッグを持ってこなかったのでケチっておかもちのように左手に寿司二パックとからあげを乗せて自転車を漕ごうとするけれどうまくいかない、ので仕方がなく前かごに三つのパックを静かに置く。すこしの振動でも軍艦の上のいくらは多分すぐにこぼれてしまうから、段差のところでブレーキをかける。よく見ると道路って継ぎ接ぎだらけだ。止まれ、という文字のパッチワークを用心深く渡って最後の段差をのぼり切ればアパートに辿りつく。

夫から連絡が来るまでは、今日は帰りが遅いという心づもりでいたので仕事から帰ってすぐに着替え、近くのミスドで本の発送作業をしようと思って家を出たけれど、筆記用具を一式忘れたことにミスドについてから気づく。仕事用のリュックから筆箱を取り出してそのまま食卓に置き忘れた、その残像がうかぶ。購入してくれた方には悪いと思いながら観念して作業を終えたら読もうと思って持ってきた『ランバダ』と『ランバダ』vol.2を読んだ。
『ランバダ』vol.2「としおさん」のなかの、

 「生まれたくて生まれてきた人間なんていない世の中で、幸せになることだけが運命への唯一の意趣返しだ」
という一文に、ヘドバンのいきおいさながら頷かざるをえない。

わたしは自分の本のなかで「だれにも頼んでないのに生まれさせられてしまったわたしたちは、諦めて、自分にいつだって嘘をついて、ただ仕方なく生きるしかない。生きることを、つづけるしかない。そして、どんなに寂しくてもその生を。ひとりで終わらしてはいけないと、お互いをつねに見張りあっている。」と書いたが、それに対してのもはや口をあけてただ見上げるようなホームランアンサーをもらった気がする。としおさんのような、先生をわたしも一人だけ知っていいる。

今自分に起きていることは、今書きとめておかないとすぐに気体になって蒸発する。蒸発してしまったものをわたしたちは顧みない。顧みようとしないからそのできごとはだれのものでもなくなって無に帰る。なかったことになってしまう、ことをだれも気に留めない。わたしも気にしない。気にしないことがたまに、とてもつらい。

次に何を書こうか考えながら見遣る窓の外の、マンションの廊下の等間隔にならぶあかり。用心深く持ち帰った寿司の、それでも飛び散ってしまった軍艦のうえのまばらないくらと、けれどそこに添えられたきゅうりの、繊細な三枚切り。寿司と一緒に買ったからあげの、最後のひとつにマヨネーズをかけて、一味もかけたら美味しいと思って一味もかけて、一口かぶりついた箸をからあげから引き抜いてマヨネーズのついた両箸をなぶって、醤油の小皿を箸でからあげの器から遠ざける。怠惰な動作。

さいごの一口でからあげを食べきって咀嚼しているあいだ、夫がスマホを見ながら朝ドラの主題歌を歌ったり「にゃんこスター破局だって」と言ったりする。からあげをなお咀嚼しながらわたしは大きく息を吸っている。

ほんとうは文章を書くのがものすごく苦痛。ぜんぜん楽しくない。楽しいと思ったことがしんじつ一度もない。誰に強制されるわけでもないことを、なら書かなければいいのに「それ」は「強 迫 観 念」とデカくプリントされたティーシャツを着てわたしの目の前に棒立ちのまま、とにかくこちらをめちゃくちゃ睨んでいるからわたしは「それ」から無言でずいと差し出された密度の高いまんじゅうを黙って咀嚼せざるをえない。

書いたら読んでもらわないと苦しい。こんなのいやだと思う。文章は上手な人が書けばいいのにそこに身をスライムみたいに液状化させながら入り込んでわたしもそうですけれど、という顔で居座ろうとする。

目の前に鎮座するムーミンと目が合う。食卓に置いてある編みぐるみのカバがこちらを見ている。夫が頭を掻いている。夫は毛玉だらけのBOSSのスウェットを着ている。

もしもすべてを記録できたら、と思う。書かないと忘れてしまうという当たり前のことに何度でも驚いて、そのたびにもうこれ以上転がしても大きくなりすぎて手に負えない雪だるまのあたまみたいに、それをでもどうしてもやめられないと思うことはかなしい。手はだっていよいよ悴むし、おしっこにも行きたい。

夫の喉がグルグルと鳴っている。夫の喉はよく鳴る。付き合うまえに上野公園のベンチでふたり、地面を見つめながら黙りあっているなかで、あんまりそのひとの喉が鳴るもんだからおかしかった。

こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもど
ろに吾はおるなり  

という山崎方代の短歌。Wordで打ち込むと「山崎放題」と出てくる。山崎放題。放題であることの喜びと放埓さ。ここまで書いてツイッターのTLを眺めていると、一番うえに表示されたのがこの歌だった。

ああだれが、と思う。こんな反故に書き殴られた文字のよせ集めを読んでくれるのかと思う。でも読まれたいと思う。もうすぐ死ぬのならいいと思う。忘れたくないことを醜く蒐集して、それなら許されると思う。

爪が短い。夫の足の親指の爪は夏にヨロン島の岩場ではがれたきり、まだ完全に生えそろわない。胸がいたい。今日はもうすぐ米寿を迎える祖母へのバースデーカードを買った。ひらくと動物が控えめにとびだしてくる。予鈴をきいて、生徒たちがかけていく。予鈴と本鈴の間隔の短さにずっと慣れない。教室はこまめに換気をしないと空気が重い。握りつぶすビールの空き缶のいつものやわらかさとその速度。

苦痛なことをつづけて、でもそれをしないでいるよりはマシだと言いきかせて息をしている。ムーミンはほんとうはしゃべらない。

ふたつあるトイレットペーパーのホルダーが同じタイミングで芯だけになる。起こることすべてを記すことができたら、わたしは安心して死ねるんだろうか。息をする音。床にころがる夫のかばん。癖でこすり合わせる両足。
これだけ書いても今起きていることを記しきるには遅すぎてとても追いつかない。風呂の壁のタイルのいびつなならび。「追い炊き」の、点滅。

ひとつずつ諦めて、ゆっくりゆっくり歯を磨く。

大きな盥

まだ梅雨が明けない。

中国地方だけ除かれて、九州も四国も明けたのになぜ、こんな昨日も今日も晴れなのに。

一学期のおわり、書写の授業で生徒に書いてもらった暑中見舞いも、一応梅雨明けに出すものということで「梅雨が明けたていで書いてネ」と言って書いてもらったので、以来大事に保管しているのだけどまだ明けないもんだから、いつまでも出せない。生徒たちのハガキのなかに、夏はもう来ているというのに。

思えばこの一学期、ひとりではなく何人の生徒に「私はあなたの味方だから」と言っただろう。まっすぐ目を見て、何度言っただろう。

こんな短期間のうちにたくさん、「あなたの味方だよ」と言ったのははじめてだ。なんなら面と向かってそんな風に言ったのさえはじめてだ。
それぞれ言い分が違っても、向き合ってひとりと話せば、必ず私はそう言った。ほんとうに、心からそう思って言った。一人ひとり、まっすぐに目を合わせて、頷いてくれた。私も誰も、笑ったりなんかしない。

以前、半年くらい前にはじめてねとらぼさんで書かせてもらった教育についての文章(「ハッキリ言って「学校」は地獄だ。それでも私が教員として学校にとどまり続ける理由」https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1812/23/news005.html)に、それは多くの批判的なコメントが寄せられたものだけど、それらの「自分でデモシカ教師って言うとかあかんやろ」「こんな人が教師になってほしくない」「やりたくないなら辞めればいい」みたいなすべて、反論すべき点がなくて落ち込んだものだけど、教員に復帰したこの数ヶ月は、相手がはじめての中学生ということもあるのか、これまでとは全然違って、そう自分でも驚くほどにまっすぐに、言葉を渡す機会が何度もあった。

基本的に全然向いてないと思う。学校が嫌いだし、教員が嫌いだ。どこにいてもそうなので、これは職場の問題ではない。

一致団結とか、しなくてもいいよねと言うときょとんとされる。高校生のように、それを笑うこともまだできない。相対化できない日々のあれこれすべてをまるごと抱えこんで、一人ひとりがみんなすべてを抱えこんで、ちゃんとみんな呼吸、できているのかって心配になる。教室は酸素が薄い。どの教室もおしなべて、そうである。だから。

だから、どうなんだろう。自分がそこにいることで、どうにかなるのか。私は二酸化マンガンオキシドールか。はたまた水上置換法か。

彼ら彼女らの、律儀な書面の暑中見舞いを見つめる。しっかり下書きしてあるシャーペンの跡が、ところどころ消えずに残っている。なんなら消しカスも残っている。

…とか書いて、今一度スマホでスッスと調べてみたら梅雨、明けていた。中国地方も明けていた。数時間前に。なんだ明けたよ!よかった!私は長々居座っていたミスドをいそいそと出、ポストに生徒たちの暑中見舞いを投函した。やっとちゃんと、名実ともに夏なのだ。彼らのハガキも現実も。

そしてにこにこと眠りについて、翌日になってしまった。しかしこの文章、下書きのままにするのもなあと思ってだらだらと続きを書いてる。面白くないなと思いながら書いてる。私は別に自分だけがあとから読むための日記も書いているのだけど、こっちのほうがよっぽど面白い。人の悪口ばかり書いてある。いや嘘です。自分を叱咤し、自分を慰め、一人でなんだかすごく大変そう。あとから読むと全部他人事みたいに思えるから面白い。ほんとに全部私が思って書いたのだったか、と思う。

中学生の頃からずっと、今も日記を書いていてるんだとこの前授業で話したら、えー?!と言われた。クスクス笑われた。みんな書かないの?と聞いたら書かないよそんなの〜みたいな反応だった。だってほら、ままならぬこととか、寄る辺ないきもちとか、どんどんふくらんでしんどくなるじゃない、どうすんの?!と聞いてもそうかなあ、みたいな感じ。そんなことないはずだよ、書いていったん寝かせて、あとから読むとホラそのときのことを対象化できてとても楽になるんだよ。と言ったけどやっぱりクスクスされて終わってしまっただけだった。

たとえば、彼らのかばんのくたびれ。

毎日宿題や予習に追われる生徒たちのリュックはものすごく大きい。大きくて重くて、とても椅子にはかけられないから、机の脇か床に置かれている。

日記はいいよ〜とやっぱり念押しでもう一度言って、見遣る彼らの大きなかばん。あれを毎日背負ってここまで来て、また背負って帰るのだ。戦友のようなおもむきさえある。

だからたとえばどの映画に出てくる制服を着た生徒たちのかばんも、新品ぴかぴかで中身のおそらく空っぽである(ように見える)こと、そのリアリティのなさを確認するたびそんなかばん、嘘ものだと思う。生徒たちのかばんは、もっと重くて大きいんだよ、もっとくたびれてんだよ、と大声で言いたくなる。どんなにいい演技してたって愛を叫んでたって台無しだし全然グッとこない。

ムッとした顔をしたまま目があった生徒に視線を逸らされる。怖い顔をしていた。ごめんね。

日記はまあ、書かなくてもいいけれど、一人ひとりの日々が、いや日々とかくくっちゃうんではなく、一日。その一日が穏やかであれよ!どうにか!どうにかどうにか眠る前に安心して眠れるようにと心から思う。私は思っているよ。ほんとだよ。ほんとだよーーと叫びたい。笑われてもほんとうなのだから。

いい先生だと思われたいんだろ、と言われたら大きく頷く。そうです。でもそれは、いい人だと思われたいことと私にとっては同じだ。先生然としたいのではなく、いい人だと思われたい。じゃあいい人だと思われたいから、そうやって生徒をむやみに励ますの?と聞かれたら、それは意地悪だと言い返す。むやみに励ましてるわけじゃない。日常、深く関係している人たちにいい人だと思われたいことを否定されたくもない。

「私はあなたの味方だよ」

そう言われたら、どんなきもちだろう。一人ひとりの顔を思い返す。目を逸らした生徒はいなかった。
味方がなにを意味するかなんてどうでもいい。味方だよ、という言葉をこえて、私はその一瞬、一人を見ていた。そして一人にとってそうやって他者にまっすぐに、肯定のまなざしで見てもらったことは、もしかしたらそのときの、逃げられない、たしかな何かをもらったことにならないか。指示語でしかあらわせないような一瞬、を渡せていたら。言葉も人もすっかり忘れ去ってなお残るあのときの一瞬。

いい人だと思われたい、と思って一緒に唸って考えて、しかし口をついて出てくるのはきまって「私はあなたの味方だよ」なのだ。私には。
出てきてしまうんだから仕方ない。 いつだって大切なときに渡したいのは、言葉ではなくその一瞬だ。

七月は大きな盥七月は朝ごとにその瞳を洗う (服部真里子)

#日記 #エッセイ #短歌

あかるさのすべてよ

どうにも胸がいっぱいになるまるまる一日というのがごくごくほんとにたまあにあって、それが今日だった。

昨夜から、夫の仕事についてやって来たはじめての明石は蛸とどこまでも淡い海のまちで、とても気持ちよく、なんだか一瞬で好きになる景色。昨夜から一緒のMさんと夫とともに朝とも昼ともいえない時間に明石焼きを食べたりして、それでMさんと別れて、われわれはそのまま新快速に乗って梅田へと向かった。

たまたまのことで、しかし運命的に!まじでジャストなこと、今日梅田で川上未映子のサイン会があるのだということを先日知り、この機会、逃してはなるまいと夫に頼んでどうしても、やってきた。

『夏物語』は『文學界』に出たときにすぐに読んで、改めて本になってから読めることを楽しみにしていたのだけど、最近ずっと考えている生む/生まれることの全部が全力で書かれてあるような、この文章が今生きて読めることをとても嬉しいことと思う、そんなふうに素晴らしい一冊なのだった。だから、いったい私はその著者である川上未映子を前に、なにを話せるだろうとずっと考えて、考えて分からずサイン会の長蛇の列がじりじりと進んでゆくのを静かに緊張しながら待っていた。川上未映子に会えるのなら。

小説のなかにあらわれることのすべてを受け取って、しかし聞いてみたいことはなんだろう。伝えたいことはなんだろう。そもそもサイン会ってそんなに話せるのだったか。中二のときに行った松岡修造のサイン会では大ファン(だった)本人を前になんも言えなかった覚えがあるけれど今回は伝えなければならない使命があった。緊張していても、伝えられると思ったし、聞きたいことを私は聞けると思った。

「なかへどうぞ」と書店の人にうながされ、川上未映子が!和やかに、ほかのお客さんと話している。話しているー!という感慨もつかの間、すぐに自分の番になってバンと目の前にまっすぐ、目を合わせてくれる彼女がいたのだった。短歌をやっていること、かばんに入っていること、そんな自己紹介をすごく頷きながら聞いてくれることがうれしくて、ああこんな真っすぐに聞いてくれるのなら。

この作品を読んで、私が子どもを生んでも、生まなくても、養子を迎えることを選んでも、その選択のどれもが絶対に肯定されるような、強い力をもらいました…そこまで言ってやっぱりグッと喉がつまってしまう。じっと、頷きながらやはり真っすぐに見つめてくれるから、もういいんだもう無理だと思って涙がこうほんとうにばっばっ、ばたばたばたと夏の夕立かよってくらい落ちてくる。ずっと子どものことを考えていて、考えて考えてぐるぐるしています、でもこの作品を読んで私は嬉しい、全部がありがとうと思える、だからありがとうと言って、すると呼応するように川上未映子氏も私と同じくらい、ほんとうにぼたぼたと涙を流すものだから、二人で泣くというえっこれは私史上ものすごい空間。川上未映子と一緒に泣いてる。なにその私の人生の一日…。

そういうひと時があって、鼻水まで垂らして、大きく何回も息を吸っては吐いて、やっとサインをもらって、最後に「まだここにはいない、誰かに私が出会うことは、やっぱり素敵なことですか」とこれまたどうしても泣きながら聞いて、川上未映子は「うん、そうだよ、死んでしまうけれど、全部終わるけれど、それでも」と言ってくれた。きっとどうなにを言われても、しかしそのことばをもらって私はひたすらにあたたかい、安心の渦みたいなもののなかにあったこと、あんなふうにすべて大切な思いをそのままで受け止めてもらえたと思える時間があったこと、もう私はずっと離さずにいるて思う。これからどんな選択をしても/しなくても、どうあっても、あの全力全肯定の、真っすぐに貫かれたあかるい言葉をずっと何度でも抱きしめ直して生きていくだろうと思う。

こんな気持ちになれることって。全然ない。もうずっとない。ずっとなかったな。いいんだな、大丈夫なんだなと思えること、今まで長いこと、なかったんだなと思う。もう10年、いや死ぬまで、自分の輪郭をつよく、太くなぞってくれるようなこと。

最後の最後、「また会えますね」と言われて、そうかもしれないとほんとうに思って、「お会いできるようにがんばります」と言った。

念願の葉ね文庫に行けたこと、店主さんが自分のことを認識してくれていたこと、書いた短歌の短冊を飾ってくれたこと、買った本の入れてあった紙袋のなかに、ふたつ飴ちゃんが入っていたこと、同じくサイン会に来ていらした橋爪志保さん、そして大森さん土岐さんとお会いできたこと、みんなでカラオケに行ったこと、夫と土岐さんのリンダリンダ、手を振って別れたこと、今新幹線に乗りながら、夫は横で寝ていて、そのつかれた横顔、乗車直前に買った蓬莱の豚まん、手際のよい女性の笑顔、雨が新幹線の窓を素早く伝うこと、外は真っ暗なこと、川上未映子の頷き、私の頷き、全部あったのだと何度でも取り出したいから。全部今日のことなのだと。

多分また帰って日記に書くけれど。

#日記 #川上未映子

せいいっぱいの悪口

最近、エアロバイクを買った。夫にねだって買ってもらった。「ほんとにちゃんと乗る?続かないんじゃないの?」と何度も言われたけどそれにはちゃんとこたえず、寝転んで手足をバタバタさせて「買って買って買ってよ〜」と喚いてなんとか買ってもらった。ツイッターのお友だちが励んでいるのを見ていいなあと思っていたのだ。 ダイエット、というより気持ちのよい運動がしたかった。筋トレなどは続く気がしないがなんの確信か乗り物ならいける、と思った。「しょうがないなー、まあ俺も届いたら届いたで使おー」と夫は言っていた。その気になってくれたようでよかった。

届いたそれは、ほんとうにただの自転車だった。ただ、漕いでも進まないだけ。

ダイヤルをまわして負荷を変えられる。自転車に乗っても汗などめったにかかないが、なぜかこのエアロバイク、ほんとにめちゃくちゃ汗をかく。普段とくだん、汗かきというわけでもないのに漕いで10分もすれば上半身から汗が滲み、30分経つ頃には顎から胸から汗が太ももに滴り落ちる。
そのへんでいつもかなりフラフラになるので漕ぐのをやめるのだけど、調子のいいときはあと10分、漕ぎ続ける。ハイになってくるのか、だんだん自分がキョーボーなこころに傾いてゆくのがわかる。気に入らないことばかり、思い出す。みんな自分をさめた目で見ているように思う。どうせ呑気な暮らしと思われているんだろう、とか。非常勤でラクな生活しながらやたらていねいに暮らしたがってムーミンばかりでいいねを得て安易な承認欲求満たそうとしてあさはかだわ、というような。しかしそんなふうに自分を見せているんだから、だれもその裏側までは知らないのだから、そりゃそう思われて当然なのだ。

クソ、と思う。誰がとか何がとか具体的な対象はなく、ただ全体的にクソと思いながらシャカシャカとペダルを漕ぐ。

そしていつも行きつくのは、自分には才能がない、という決定的で絶望的な事実の確認なのだ。毎度きまってポップなゴシック体で眼前にばーんと提示される「才 能 が な い っ !」という文字列。ネオンサインみたいにカラフルにひかっている。それがどんどん膨らみながら迫ってきて、私は押し潰される。圧死。

佐藤浩市みたいに立派に顔の皮の分厚く、見るからに権威、みたいな男性に両肩をがっしと掴まれて「君には才能がある」と年に100回は言われたい。そしたらなんとかがんばれる気がする。いやほんとうは毎日100回、呪文のように言われたい。しかしそれだと佐藤浩市も大変だろうからまあじゃあ一ヶ月に一度でもいい。山口まで来てもらうのも結構手間だけど飛行機代は出そう。いや、才能を見込んでくれているのだからむしろすすんで来てくれるのではないか。佐藤浩市

「君には才能がある」

しかしその瞳は空虚。

しっかり私の両肩をつかんでいたその重く、肉厚な右手左手の、力がどんどん抜けていく。ああ目の前の佐藤浩市がかすんでゆく…

はじめから、そんな都合のよい精神的支柱なんて存在しないのだ。
私だけの佐藤浩市なんていないから(多分日々お芝居で忙しい)、誰も励ましてくれないから、自分で励ますしかない。でも自分に才能なんてある気はしないから励ましようがない。

佐藤浩市と(もう佐藤浩市じゃなくてもいいや)ひょんなことから20歳そこそこの私は文壇バーみたいなところ(佐藤浩市来るかなあ)で知り合って「キミ、面白いね」なんて言われていたく気に入られ、それから10年間、応援し続けてくれている。ああ私のパトロン
そんな10年を送っていたら、今どうなっていたでしょうか!そうじゃない10年間(今の私)と比べてみましょうー!というのをやってみたい。

リビングのテレビが急に明るくなり、そんなショーが流れはじめる。誰とは知らず、怒りつつエアロバイクを漕ぎながらそれを見ている自分。もう50分経った。さすがにフラフラだ。

そもそも権威にすがりたがるなんて発想が根本的にダメ。そこに据えるパトロンとして佐藤浩市を権威の象徴みたいに扱うのもだめ。権威といえば男性、しかも佐藤浩市みたいな雰囲気、という私の大時代な認識も誤り。なぞのショーを流し続けるテレビを消して、シャワーを浴びる。

最近、やっと山口も梅雨入り宣言があったけれど思ったより雨は降らない。ジメジメとした毎日ではあるけど、梅雨の晴れ間なんてなかなか気持ちのよいもので、だから自転車で通勤している。行きは授業のことやこなすべきタスクのことを考えるからあまり気持ちは乗らないが、ふと見遣る紫陽花の色のグラデーションにその瞬間、こころは軽くなる。

あぢさゐはすべて残像ではないか (山口優夢)

という名句を思う。紫陽花は、瞬間そのものだ。花はうつくしく咲いて枯れてしまうことの、その認識をここまで端的に、目の前で見せてくれる。この梅雨に咲く、青やむらさきのグラデーションにいっしゅんで私は目を奪われ、けれどそれはまた一瞬で過ぎ去ってしまう。過ぎ去ってしまうことしかできなくて、そのことがかなしい。
旧仮名なのもいい。「ゐ」なんて紫陽花そのもので、一文字ずつが(とくに「ぢ」と「さ」は反転して」)花房のようだ。枯れてしまうとすべてセピア色になる紫陽花の、今だけのあざやかな紫色を見せられて、泣きたくなるのは私も紫陽花だからか。ほんとうは、紫陽花だけでなく生きるものすべて、残像である。過ぎてゆくことを止められない。やめることもできない。でも、こんなにも今、コマ送りのように今がある。

自転車は、風を切るからだろうか。汗を全然かかないのは。風を切るから気持ちいい。誰のことも憎くない。みんな好き。みんなたくさん生きてほしい。佐藤浩市も私もあなたも。でも死んじゃうね。かなしいね。だから大切。だからいとしい。うまれて万歳しんで万歳。これもまた自転車ハイなのか。

私はあなたではなく、私だ。その事実に何度でも絶望して、私はなんで書いていたいんだろう。なんで、認められないといけないと思ってしまってそこから動けないのだろう。死ぬのが怖いのか。なんでもない人生に満たされて、死んでゆくのがこわいのか。

もはやあまりに有名になってしまった岡野大嗣の、

もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい

が想起されるとき、しかしほとぼりって今の私にはすこし違うかもしれないと思う。
何か目の前に逃げたいことがあって、それがおさまったら生き返る。でも生きていれば面倒で逃げたいことばかりなのだから生き返らずにはなれたところから浮遊して眺めていたい。いや、そうじゃないんだ。私は。枯れかけの紫陽花をみつめて、ずっと見つめて、今を私が生きていて、泣きたくても泣けない。佐藤浩市もいない。誰も知らない。誰も私ではない。エアロバイクを漕ぐとおかしくなるのだ。汗をかきながら、やっぱりまた怒っている。自分に、怒っている。


#エッセイ #日記 #コラム #俳句 #短歌

今日のこと

植本一子の新刊が出ると知ってから即予約、していたものが昨日届き、読み始めたらやっぱり止まらないのだった(『台風一過』)。日記として日々を記録することの意味をものすごく考えながら読んでいる。終わってほしくないと思う本はそんなにない。ずっと書いてほしい。

今日あったことをどれくらい、私は書けるだろうと思って書いてみている。

今朝は夜中からの雨がほぼ止んだと思って、ふだんは朝、職場まで夫に車で送ってもらっているところ、授業変更で午前中で仕事が終わること、某締切が近いこと、夫が空手の稽古に行くので遅くなることもあって自転車で行って帰りにコメダでじっくりいろいろやろうと考えていた。「今日自転車で行くね」と夫に伝えると「え〜一緒に行かないの〜?」と言われる。

最近朝はほぼ食べないのだけど、二人分のお弁当と夫の朝食用と思って朝で食べきるつもりで炊いたご飯がほんのすこし余ったので自分も食べた。昨日のニラ玉がおかず。夫は朝ドラを楽しみにしている。私は食べ終えて朝ドラが始まるタイミングで身支度のため洗面台に立つので離れたところから切れ切れの広瀬すずの声を聞いている。

傘を持たずに家を出たが途中で霧雨になる。職場の手前の信号で同僚の先生に会う。眼鏡が雨で濡れていて恥ずかしい。その先生は徒歩で来ているみたい。

今日は3コマ続きの授業で、でも空きコマがあるよりポンポン続けてやるほうがじつは疲れずにいいのかもしれないと最近思う。昨夜から緊張して、今朝も早めに目覚めてしまったのは今日の授業でこの学校の生徒たちとはじめて哲学対話をするからなのだった。哲学対話については専門の夫のブログに明るいので知りたい方はぜひ(http://p4c-essay.hatenadiary.jp/)。

ある問いについて、そこにいる人たちと輪になって考える、話すことがそうだと思ってやっているのだけど各クラスで事前に決めておいた問いのそのすべてが「死んだらどうなるか」だったのには驚いた。授業で扱った小説を読み終えて、そこから考えた問いだったので祖父の死が描かれた作品ということをかんがみれば確かに死についての問いを考える生徒が多いこともわかるけれど、ほかにもいろんなテーマで候補になった問いをすべて押しのけて全クラスが同じ問いをそれぞれ選ぶのはなんだか妙なちからを感じる。明日この問いをみんなで考えるからね。お風呂の中とか、寝る前とかぼんやり考えてきてねと言っていた。

教室に対話で使う毛糸でできたボールをもってゆくと、それだけでわー何それー?と注目される。

輪になって、アイスブレイクで死ぬ前さいごに食べたいものは何か、について一人ずつボールを回しながら話してもらう。となりに座った生徒に「二つでもいいですか?」と聞かれ、いいよいいよ全部教えてと返す。私はクリームソーダと答えた。ケンタ、とか焼肉、とかおなかに優しいもの、とか色々だった。全部並べてみんなで食べたい。 みんなボールをまるで爆弾かのように高速でとなりの人に回すので、「爆発しないから大丈夫だよ、ゆっくりで」と言うとすこしわらっていた。

「死んだらどうなるか」と黒板に書いて、話し始める。

私は死んでも何も変わらないし世界は私を置いてただ回り続けるのだと思っているけれど、死後の世界の有無について話してゆくと「ここが死後の世界じゃないなんてどうやったら分かる?」とだれかが言う。ほんとだね。いつだって「今、ここ」がすべてだと、基準だと思って疑わない。ほんとうはこここそ、死後のあたらしい世界なのかもしれないのにね。死んだ人を悲しんでいる。もう会えないと思っている。

「何度だって、同じ私として同じ人生をやり直して繰り返しているのでは?」という意見も出た。そうしたら、私の意志やあなたの感情も、すべて決まったことなのかなあ、なんてみんなで考えた。そういう設定のゲームなんだよ、と生徒は言っていた。

「ここが死後の世界だったら怖いーー!!」と言ってみんなでゾッとしたことが、なんだか私は救いだった。嬉しかった。あたま掻きむしりたくなっちゃうよ、と言って掻きむしる真似をしたら、ものすごくわらった人がいた。ものすごくわらってくれたことを、おぼえていたい。

教室に入る前は緊張していたけど、一応無事に終えることができた。毎回授業後に大福帳にコメントを書いてもらっているので、もしかして嫌な気持ちになったらそこにも書けるようにしていたのだけど、特にそういうコメントはなかった。書かなかっただけで、秘めている人もいるかもしれない。いるかもしれない、ということを忘れずにいたい。

雑務をおえて、自転車でコメダにゆく。
雨はすっかりやんでいて、でもだからかすこし肌寒い。襟のつまったカーディガンに足の開きにくいタイトスカートを履いているので自転車が漕ぎづらい。こんな格好したくないなと思う。先生すぎる。

コメダはおやつどきとあって混んでいる。この田舎にコメダがあってよかった。なかったらどこにも、長居できるカフェも喫茶店もない。コメダはどれだけいても飲みものを下げられることも、嫌な顔をされることもない最高のホスピタリティなのでそれに乗っかって本当に毎度いつまででもいてしまう。もうおそらく顔も覚えられているはずだけど、いつもありがとうございますと言われたことは一度もない。それでいいな、それがいいなと思う。毎回お一人ですか、禁煙ですか、と聞かれる。それがいい。

今日ははじめてストロベリーシェークをたのんだ。ほんとうにピンクの飲み物だ。飲み物は絶対に色がついているのがいい。明るい色の飲み物が好きだ。だからメロンソーダが好き。ストロベリーシェークはいちごと、ソフトクリームの味がする。いちごとソフトクリームを混ぜているのかもしれない。美味しいけど、すぐに飲まないと溶けてしまうから急いで飲んで、でも飲み干したら居づらいなと思って1㎝だけ残す。この1㎝は犠牲だ。

次の授業の予習をすこし進めて、また『台風一過』を読んでいた。まだ1/4もいってないくらいだけど、読み進めるのが惜しい。

隣の席にいた親子連れが、帰り際「うるさくしてすみません」と謝ってきた。そんな風にはまったく思わなかったから、そんなこと!全然全然!と全力で否定しておいた。でもお母さんは厳しくて、じっとしていられない子どもを何度も叱って「それならもう車だね!車行く?」といいつけていて、一人で車にいるのは嫌だよね、とその子の顔を何度か確認してしまったから、うるさいと思ってる、と思われたのかもしれない。そんなことないのにな。

コメダ特有のボックスになっている席の向こうから「やけえ、もうひとりの田中さんはセーシン障害よ」と聞こえる。「もう一人はアルバイト」なんだかかなしい。言い方がかなしくていやだ。

この土地の人たちは、「〜だから」を「〜やけえ」と言う。

今日の哲学対話でも、ずっと小声で話していた生徒が黙ったかと思うと急に大きなで呼吸とともに「やけえ!!」と口にしたのでびっくりした。やけえ。
じゃけえ、とも言う。私はまだ使ったことはない。でもなんとなく、ほんとに少しずつ傾くように、こちらの言葉が馴染んできている感じもやっぱりすこしする。

向かいの大学生二人は、片方が壁にもたれて眠っている。席の横にリュックが置いてあって、サイドのポケットに髭剃りが入っている。夫が使っているものと似ている。髭剃りは、夫がするその音よりも父が朝早くに剃っていたその鈍い電動の音が私にとっての髭剃りの感じ。
もう一人の大学生はうつむいてスマホをさわっている。手に乗せたスマホと覗き込む顔がほぼ平行。

プリントにほぼ覆いかぶさるようにして机に顔がつくくらいの近さで書く生徒もいるけど書く姿勢はそれぞれで面白いと思う。自分はどんな姿勢で書いているだろう。

これを書いているあいだにもう隣のひとも、向かいの大学生も、席の向こうのおばさんもいない。

帰りに今日こそシャカシャカチキンが食べたい。生徒に会いませんように。
この町に来てから、自転車の帰り道がすきだ。まっすぐで、広くて、平らで、人もいない。ずっと両手離しでもぐんぐん進めるような道をあえてゆっくり漕いでかえる。自転車の、それも帰り道にだけ、よく短歌のフレーズをおもいつく。以前、「行きよりも帰りのほうが心地よいこの町を少しだけ好きになる」という歌をつくって、それはほんとうにこの帰り道におもいついたものだった。その歌を含めた連作で、次席をもらってとてもうれしかった。

この町はぜんぜん、日が暮れない。ほんとうに日が暮れない。長いなんてもんじゃない。ずっと明るい。そのことも、とてもうれしい。ずっと明るい町なんだなと思って、そう思うだけで少しだけいつも元気になれる。相変わらず東京は遠い。


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