いつも胸やけ

ムーミンと夫と子どもと暮らしています

いつも胸やけ

夫から電話があって、今夜は空手の練習に行くつもりだったけれど、学生対応が長引いてもう諦めてこれから家に帰るという。めずらしく「外食がしたいよ~」と言うので、今いるミスドに併設するスーパーでお惣菜を買って帰ろうかと提案すると喜んだ。二〇時も過ぎれば、電話しながら回るお惣菜コーナーは軒並み半額まつりで、相談しながら寿司とからあげを選んで帰る。

エコバッグを持ってこなかったのでケチっておかもちのように左手に寿司二パックとからあげを乗せて自転車を漕ごうとするけれどうまくいかない、ので仕方がなく前かごに三つのパックを静かに置く。すこしの振動でも軍艦の上のいくらは多分すぐにこぼれてしまうから、段差のところでブレーキをかける。よく見ると道路って継ぎ接ぎだらけだ。止まれ、という文字のパッチワークを用心深く渡って最後の段差をのぼり切ればアパートに辿りつく。

夫から連絡が来るまでは、今日は帰りが遅いという心づもりでいたので仕事から帰ってすぐに着替え、近くのミスドで本の発送作業をしようと思って家を出たけれど、筆記用具を一式忘れたことにミスドについてから気づく。仕事用のリュックから筆箱を取り出してそのまま食卓に置き忘れた、その残像がうかぶ。購入してくれた方には悪いと思いながら観念して作業を終えたら読もうと思って持ってきた『ランバダ』と『ランバダ』vol.2を読んだ。
『ランバダ』vol.2「としおさん」のなかの、

 「生まれたくて生まれてきた人間なんていない世の中で、幸せになることだけが運命への唯一の意趣返しだ」
という一文に、ヘドバンのいきおいさながら頷かざるをえない。

わたしは自分の本のなかで「だれにも頼んでないのに生まれさせられてしまったわたしたちは、諦めて、自分にいつだって嘘をついて、ただ仕方なく生きるしかない。生きることを、つづけるしかない。そして、どんなに寂しくてもその生を。ひとりで終わらしてはいけないと、お互いをつねに見張りあっている。」と書いたが、それに対してのもはや口をあけてただ見上げるようなホームランアンサーをもらった気がする。としおさんのような、先生をわたしも一人だけ知っていいる。

今自分に起きていることは、今書きとめておかないとすぐに気体になって蒸発する。蒸発してしまったものをわたしたちは顧みない。顧みようとしないからそのできごとはだれのものでもなくなって無に帰る。なかったことになってしまう、ことをだれも気に留めない。わたしも気にしない。気にしないことがたまに、とてもつらい。

次に何を書こうか考えながら見遣る窓の外の、マンションの廊下の等間隔にならぶあかり。用心深く持ち帰った寿司の、それでも飛び散ってしまった軍艦のうえのまばらないくらと、けれどそこに添えられたきゅうりの、繊細な三枚切り。寿司と一緒に買ったからあげの、最後のひとつにマヨネーズをかけて、一味もかけたら美味しいと思って一味もかけて、一口かぶりついた箸をからあげから引き抜いてマヨネーズのついた両箸をなぶって、醤油の小皿を箸でからあげの器から遠ざける。怠惰な動作。

さいごの一口でからあげを食べきって咀嚼しているあいだ、夫がスマホを見ながら朝ドラの主題歌を歌ったり「にゃんこスター破局だって」と言ったりする。からあげをなお咀嚼しながらわたしは大きく息を吸っている。

ほんとうは文章を書くのがものすごく苦痛。ぜんぜん楽しくない。楽しいと思ったことがしんじつ一度もない。誰に強制されるわけでもないことを、なら書かなければいいのに「それ」は「強 迫 観 念」とデカくプリントされたティーシャツを着てわたしの目の前に棒立ちのまま、とにかくこちらをめちゃくちゃ睨んでいるからわたしは「それ」から無言でずいと差し出された密度の高いまんじゅうを黙って咀嚼せざるをえない。

書いたら読んでもらわないと苦しい。こんなのいやだと思う。文章は上手な人が書けばいいのにそこに身をスライムみたいに液状化させながら入り込んでわたしもそうですけれど、という顔で居座ろうとする。

目の前に鎮座するムーミンと目が合う。食卓に置いてある編みぐるみのカバがこちらを見ている。夫が頭を掻いている。夫は毛玉だらけのBOSSのスウェットを着ている。

もしもすべてを記録できたら、と思う。書かないと忘れてしまうという当たり前のことに何度でも驚いて、そのたびにもうこれ以上転がしても大きくなりすぎて手に負えない雪だるまのあたまみたいに、それをでもどうしてもやめられないと思うことはかなしい。手はだっていよいよ悴むし、おしっこにも行きたい。

夫の喉がグルグルと鳴っている。夫の喉はよく鳴る。付き合うまえに上野公園のベンチでふたり、地面を見つめながら黙りあっているなかで、あんまりそのひとの喉が鳴るもんだからおかしかった。

こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもど
ろに吾はおるなり  

という山崎方代の短歌。Wordで打ち込むと「山崎放題」と出てくる。山崎放題。放題であることの喜びと放埓さ。ここまで書いてツイッターのTLを眺めていると、一番うえに表示されたのがこの歌だった。

ああだれが、と思う。こんな反故に書き殴られた文字のよせ集めを読んでくれるのかと思う。でも読まれたいと思う。もうすぐ死ぬのならいいと思う。忘れたくないことを醜く蒐集して、それなら許されると思う。

爪が短い。夫の足の親指の爪は夏にヨロン島の岩場ではがれたきり、まだ完全に生えそろわない。胸がいたい。今日はもうすぐ米寿を迎える祖母へのバースデーカードを買った。ひらくと動物が控えめにとびだしてくる。予鈴をきいて、生徒たちがかけていく。予鈴と本鈴の間隔の短さにずっと慣れない。教室はこまめに換気をしないと空気が重い。握りつぶすビールの空き缶のいつものやわらかさとその速度。

苦痛なことをつづけて、でもそれをしないでいるよりはマシだと言いきかせて息をしている。ムーミンはほんとうはしゃべらない。

ふたつあるトイレットペーパーのホルダーが同じタイミングで芯だけになる。起こることすべてを記すことができたら、わたしは安心して死ねるんだろうか。息をする音。床にころがる夫のかばん。癖でこすり合わせる両足。
これだけ書いても今起きていることを記しきるには遅すぎてとても追いつかない。風呂の壁のタイルのいびつなならび。「追い炊き」の、点滅。

ひとつずつ諦めて、ゆっくりゆっくり歯を磨く。