いつも胸やけ

ムーミンと夫と子どもと暮らしています

空港が好き

眠る前、啓示のように(丸亀製麺、食べたい…)と思って夫に話しかけたけどすでに寝てたみたいで返事はなかった。小さいひとも寝ていてだから常夜灯のぼんやりした暗がりにわたしの欲望だけがしばらく漂って、そして消えた。

朝になって、ツイートを見た夫がそれでは丸亀、食べに行こうやと言って天気もヨシ、五月晴れに誘われて丸亀製麺に繰り出した。
(こう、天気もよくて体調もいい日は毎日なわけではなく、どうしても夜中起きなきゃいけない生活が続くともともとロングスリーパーなわけではないがそれでも日中めまいがしたり気持ち悪くなったりして何時間か昼寝をする、気づいたら夜になってかなしくなったりする。)

眠くなるまでメニューを見ながら何にしようかあれこれ考えていたのに、いざとなるとまたふりだしから悩みだして後から来た人たちに先どうぞ、と人流を乱す迷惑をやりながらもたもたしていると、「先生!」と声をかけられ、あんまりまっすぐわたしに向けてかけられた言葉だったからすぐふり向くと、今自分のコマを代わってもらっている先生がご夫婦で立っている。平日のお昼にこうしてひとつの店で鉢合わせる偶然と、久しぶりにお会いできたよろこびで一気にメガネ曇った。

夫は肉うどんの大を、わたしはとろ玉ぶっかけうどんの並と、野菜かき揚げ、アジの天ぷらを選んだ。丸亀の野菜かき揚げは小さめのルンバかってほどデカくて嵩もあってふたりで分けてもまだデカい。小さいひとを座敷に寝かせたり、膝に乗せたりしながらおいしく食べ終えたところで、先生とすこしおしゃべりした。
「今日はなみだが出るほどうれしいことがふたつもあったのに、これで三つめになったわ」と言っていて、そのふたつが気になったけど、相変わらずメガネを曇らせながらふわふわした相槌しか打てなかった。

近くに住む知人のツイートで空港のバラが大変見頃、というのを知って食後に向かう。
「バラ色の人生」というときのバラはあの深い赤と思うけれど薔薇、そもそもこんなたくさんの色とかたち。見たことのないバラが言葉のまんま、咲き乱れていた。
なかでも、奥まった庭園にはアーチに沿ってとりどりのバラがいっせいに目を見開いて、アーチを覗けばその奥にも奥にもまだバラが続いている。
小さいひととのツーショットを夫に撮ってもらってそれがなかなかいい写真で、うれしくて帰って顔のところをスタンプで隠してTwitterに上げたんだけど、でもなんか後からとても恥ずかしくなって、消した。
この心の動きをなんと言ったらいいんだろうと一晩考えていた。写真を上げるとフォロワーが減ることがある。無為に、いや無為と言えるのかな、とにかくそれが原因なのだとしたら、と思いを乗せて、心の風化がすこし進む。

バラを巡った後は、空港のとなりにある公園でシートを広げてごろっとした。それなりにひとはいて、スケボーやローラーブレードに励む二人組、単独散歩組、ベンチでおしゃべり組、それぞれ散らばっている。

広い野原に腰かけて、目線にはため池、その先に柵を越えてどこまでも、滑走路がある。

毎日羽田を結んで数便の往来があり、夫が寝入ったところで小さいひとがぐずりだし、ため池のまわりをベビーカーで行くと、ちょうど離陸するところだった。ベンチに腰かけてすぐに滑走路から機体が浮いて、ゆっくり旋回しながらとおくへ消えるまでを、居合わせたひとたちとともに、それぞれの場所から、見上げていた。花火を見てるみたいな、みんなで遠くの一点を仰ぐ一粒の時間は結構尊いのかもしれない。

戻ると、夫は起きていてどこ行っちゃったのかと思った、と言っていた。そばではスケボー組が仲間を増やしてゴロゴロやっている。
シロツメクサの花を摘んで、ほとんどはじめて花冠をつくった。小さいひとの頭に載せるためのものだから、もういい飽きる、というところでなんとか完成して、写真を撮った。その背後で、夫は今日も逆立ちをしていた。

 

目がさめるだけでうれしい 人間が作ったものでは空港が好き/雪舟えま『たんぽるぽる』

 

なんなのか思い込みで、上の句を「生きているだけでうれしい」と誤っていて、全然ちがうじゃん、と自分に白けた。
かつて心を無にして司書として働いた一年間があり、それは仕事内容というより直属の上司と完璧にしんそこ反りが合わずしかし校内の図書館だったのでほかには誰もいない。密室の地獄365日、そんな毎日行ってないけど出勤しない日でも心は死んでいたことを思うとまったく大仰ではなかった。

そして思い出すのはその人が「できることは気づいた人間がやりましょう」という言種で、ニンゲンて、とわたしはいつも思っていた。種としてのワードじゃん、せめて人って言ってよ…と聞くたびに元気がなくなり、絵文字みたいな顔で業務にあたっていた。
人間が、というとき主体は体臭のするわたしたちからは離れたところで、どこか遠くを見ているように思う。あなたはだれなのか、たぶん微笑みが上手くて、ひとさし指が光っている。
でもそう言ってみるだけで、かなしい生を、やりきれない生活を、うんざりしながらなんとかやっているひとりの輪郭が、輪郭だけを保って透けて見えるとき、だからたまに、この短歌をこうして間違えて思い出す。

オチをつけるみたいになってしまうけれど、ドデカい野菜かき揚げはわれわれに鮮やかな胃もたれを呼び起こし、おさまったと思った安堵もつかの間、たのしくタイタニックを見ているところで二度目のウェーブがやって来、調べてみると同士はけっこういて、どうやら油をたぷたぷに吸った玉ねぎがいけないらしかった。

実は前にも丸亀の野菜かき揚げにやられたことがあって、もうきっとまたしばらく食べないだろうな。かなしいな、と思って目を閉じた。

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